その廊下は、家士たちのあいだで“泪橋”と呼ばれていた。重役たちの御用部屋へ行く渡り廊下のことである。
御用部屋へ行く者は、失策をおかしたり、期限つきの御用に間に合わなかったりで、ほとんどが小言か叱責をくらうためによばれる。お褒めの言葉をもらうことはまずない。
したがって、帰りは泪にくれつつ渡ることになるので、ひそかに泪橋と言われていた。自分のしでかした事ならまだしも、上士の尻ぬぐいを押しつけられ、我が身の落ち度とされることもある。その悔しさには、渡り廊下の先にある厠まで待ちきれずに、泪が落ちこぼれるという。
弥之助も、いま物書部屋へもどるため肩を落として泪橋をわたっていた。他家との稟議書を風呂敷に包んだまま、どこかに置き忘れてしまったのだ。
「よいか。及ぶかぎり速やかに、紛失した稟議書の中身を思いだして書き留めておけ。とは言っても、そちにはしょせん無理であろうの。今回は見逃してつかわすが、再度このような事があれば、家禄の引き下げもありと覚悟せい」
先代のときに家禄の引き下げがすでにあった。御家の内情も年々厳しいらしく、重役たちは、節約・倹約を口実に、なにかと家録引き下げを口にするようになっている。ここでまた弥之助の代で引き下げがあったら、下の息子は商いでも学ばせるしかない。
物書部屋に戻り、なんとか思いだそうとしてみた。半刻ばかり机のまえで筆を持ってみたが、無駄であった。墨だけがむやみにすりへっていた。
朋輩たちの、同情とともにちらりとのぞくうれしげな目を背にして、物書部屋を出た。
上士のせいでもだれのせいでもなく、まことにおのれ自身の過ちであった。だれかのせいにして呪うことすらできない。
まっすぐ家へ帰る気にもなれず、気づくと、瀬戸物町入口辺りを歩いていた。室町通りの賑わいと混雑に身をゆだねることで、おのれの愚かさを消してしまいたかった。
その混雑のなかで、通りの東側にある高嶋屋のまえの行列が、ふと目に入った。
「並んでください、割りこみはご遠慮くださいまし」と叫びながら丁稚が走り回っている。
──思い出筺か。
それは、女子どもたちのあいだで、もてはやされていた。
手文庫を小さくしたような筺が、細工物を作る高嶋屋で売りだされた。その筺に思い出につながるものを入れておけば、その筺を開けたとき、記憶がまざまざとよみがえるのだという。
女子ども相手だから、どうせ恋文とか、赤児を亡くした親が産着を入れたり、後家が亭主の好んだ煙草をしのばせたりして、折りにふれ筺を開けてみては思いだしているらしい。
──くだらない。いつまでも執着しているべきではない。
そんなことを考えながら、高嶋屋のまえを通りすぎようとして、弥之助は、はたと立ち止まった。あることがひらめいたのである。
急いで行列の後ろに並び、半刻ほどのちに筺をひとつ求めた。大した細工もしておらず、派手な千代紙を貼りつけただけの安っぽい物だった。値段も高くはなかった。
自分の思いつきを早く確かめたくて、躍るような足取りで帰宅した。
家に帰り、風呂敷包みから取りだすと、机の上に置いてみた。それから、部屋を見回し、たまたまあった伯父からの書簡を入れてみた。ふたをする。
目をつむってみた。思いだせない。もちろん要点は覚えているが、それ以上に詳しいことは思い浮かばなかった。
なんだ、こんな物。やはりいんちきだ。娘にでもやるか。
伯父からの便りを取りだそうと、ふたを開けたとたん、まざまざとその文章全体が頭に浮かんできた。巻紙の隅についた薄い染みまでよみがえってくる。
筺から巻紙を取りだして脇に置いてみた。そして筺にふたをした。狭い庭に下りたち、しばらく歩きまわった。
それからのち筺のふたを開けた。便りはもう入れてない。しかし思いだせた、なにもかも。
やったぞ!
弥之助の頭にひらめいたのは、執務であつかう文書をその筺に入れてみれば、もう忘れないのでは、と考えたのである。
ひと晩たち、翌朝も試してみた。ふたを開ける。思いだせた、全部。
この筺は一度入れたら、取りだしたあともしっかり記憶に残るのだ。
さっそくその筺を風呂敷に包んで、お屋敷に出勤し、物書部屋に持ちこんだ。稟議書や評定書、あるいは字の下手な上士に言いつけられた清書など、できあがると、いったんは筺に入れてから提出した。
万事だいじょうぶであった。筺を開けて念じさえすれば、入れたことのある文書の内容はすべて思いだすことができた。
入れては取りだすので、筺はいつも空っぽのはずであったが、それなりに限度があるようで、一か月もすると新しい物が入らなくなった。入れようとしても、満杯だと言わんばかりに、ふたを被せることができなくなった。
すこし思案したのち、弥之助は高嶋屋へ行き、別の筺を買ってきた。
月日が経つにつれ、筺は、いつつ、むっつと増えていった。
そのころには、弥之助は物覚えがよいという評判が、お屋敷内で立つようになった。こうなると、どんな小さなお留め書きでも、覚え書きでも、入れずにはすまなくなった。そのうち私事の書簡でもなんでも、書いたものはすべて入れなければ心配でならなくなった。
二年たち、三年たつうちに、筺は増えつづけ、座敷の飾り棚や床の間だけではすまず、押入までいっぱいになってきた。
家じゅうが筺であふれかえり、狭くなるいっぽうである。物置を作ろうにも、拝領した家のため勝手な建て増しはできない。弥之助に万一のことがあったら、この家は返納することになる。
古い、要らなくなった筺を燃やすなり、捨てるなりすればよいのだが、それも不安だった。なにせ三、四年前のことでも上士に尋ねられ、翌日にはすらすら答えることができるので、上士のお覚えもめでたいのだ。
なにひとつ、おろそかにできなかった。
弥之助は、日々、筺の始末に頭を悩ませつつも、高嶋屋で新しい筺を買いつづけ、不安にかられては筺を満杯にしていった。家じゅうが筺だらけで足の踏み場もなくなってきた。
とうとうある日、「明日はおいとまさせていただきます。筺だらけの家に住むことはできません」と女房から、宣言された。
その夜、筺をなんとかしなければと考え、よぉし、明日こそは、古い物の半分は燃やそう、始末しようと決心した。女房が出て行くまえに。
そんなことを考えていると、近くの筺のふたが宙に浮いてひとりでに開いた。そこから文字が躍り出てきて、弥之助に寄りそってくる。頭のなかは筺に入っていた言葉や文字でいっぱいになる。
急いで首を振り、はねのけようとしたが、つぎの筺のふたが開き、また弥之助を取り囲んだ。仮名はほとんどなく、漢字ばかりである。漢字という漢字が弥之助の身体にくっついてくる。なかには重役たちの赤い花押もあった。漢字は弥之助にしがみつき、絡み、それはどんどん重く、身体にのしかかってくる。目、鼻、口、耳などの穴のなかにも入りこみ、喉のまわりを締めつけてくる。しまいに弥之助は息もできなくなった。
やめてくれ。
叫ぼうとしたが、声も出なかった。
翌朝、弥之助を起こしにきた女房は、夫が崩れた筺の山のなかで息絶えているのを知った。
昨夜はかすかな地震があったことを女房は思いだし、急いで筺を取りのけたが、手遅れだった。奇妙だったのは、筺はどれも空っぽで、身体の上に山積みになったとしても死ぬような重さでないこと、筺のふたがどれも開いていたことだった。