<RとLの区別について>
ずいぶん前のことになるが、日本人のRとLが区別できないことを揶揄する風刺画を見たことがある。英語で書かれた本のカバーになっていて、その本のタイトルが“Is that R as in Rondon or L as in Lome?”(それって、ロンドンのR、それともローマのL?)というものだった。悪いジョーク、と思った。こういうことをからかうのは品のいいものではない。
いまさらのようだが、日本語のRは、英語のRの音でもLの音でもないのだ。日本人にとって、耳で聞いてLondonはRondonと区別がつかないことは多いし、RomeはLomeと聞こえてしまうこともある。両方とも日本語にない音だから聞き分けるのがむずかしいからだ。スペルは目で覚えられても、発音は日本語にない音を発音するのは、正確な発音のテープなりレコーダーなりで繰り返し聞かなければむずかしい。もちろん直接英語圏の人の発音が聞ければいいのだけれども。
日本語のRの発音は、舌先で口蓋の前部の真ん中へん、およそタチツテトと同じところを空気を含めて叩く。舌はラリルレロと言うとき、確かに口蓋に触れている。だが、Tのときのように舌は弛緩していない。舌がどこにも触れない英語のRの音とはちがうのだ。Lともちがう。英語のLは日本語のダディドゥデドの位置でラリルレロと言ってみればいい。それが英語のLの発音によく似る音が出るところだ。ようするに、日本語のRは、英語のRの音でもLの音でもないのだ。似て非なるもの。日本語のラジオはradio でもladioでもないのだ。
英語が日本に入ってきたとき、いや、英語だけでなくアルファベットの言葉が日本に入ってきたとき、外国の言葉は日本語のアイウエオ51音にちかい音で書き表すようになった。地名、人名、ミシンやスピードなど物や事象の言い回しがカタカナで書き表されるようになった。外国語を日本語に取り入れた黎明期に、私たちの先人にしていただきたかったなと思うことがある。それはRとLの区別を文字に印を付けて表すことだ。印はなんでもいい。例えばRomeならローマのロの上に小さく丶を付ける。そうすればそれはR(アール)の言葉だとわかる。外国の言葉を日本語のカタカナで書き表すという努力がなされたのだから、きっとこのような区別を考えた先人もいたにちがいない。でも、察するに、目に煩雑に映るとか、日本語の純粋性を犯すなどという反対にあったのではないだろうか。それともこんなことを思いつくのはわたしだけ?
RまたはLに印をつけて音の区別をすること。とても簡単そうなことなのに、おこなわれてこなかった。それでいまでも私たちは、ロジスティックというカタカナを見るとき原語がLogistic なのかRogisticなのか、ラルフローレンはLarph RaulenなのかRalph Laurenなのかあやふやだ。英語で書こうとしたとき慌てて辞書やネットで確かめるということになる。
わたしは翻訳中、原語の音をそのままカタカナに直して使うとき、その言葉にラリルレロが含まれると、印をつけてRなのかLなのかわかるようにしたい! と思うことがある。今回はその思いを吐露しました。