2023年9月

9月30日(土)
昨夜は2時間ほどバタッと眠り、1時半から物価高騰がテーマらしい「朝まで生テレビ」を全く熱心にではなく聞きながらYouTubeで「大谷翔平•聖人50選」を見て、3時に朝刊が届いて読む。雲の合間に満月‼︎ 朝3時間眠る。


9月29日(金)
チャットGPTやエッジAI といったデジタル化で仕事がどうなるのかーーどんどん使えばいいと私は思う。いずれもがツールであって、快適に使い的確に点検していく。一億総白痴化と言われたTV草創期を抜けてきたのだから。


9月28日(木)
ティダアパアパーー自分に言い聞かせる。気にしない、大丈夫、何でもない。投げかけられた幾つかの言葉、あるいは、かけられなかった言葉が胸に刺さる。それも自分の言動への跳ね返りかもしれないと思い身が竦む。


9月27日(水)
横浜のクラスで授業中にプラスチックのコップを倒して机の上が水浸し。濡れたのはテキストと全員の訳文の、いずれもコピーだったから被害はなかった。いつも手元にある手拭いが活躍してくれて誰も気づかなかった。


9月26日(火)
ベランダから見下ろす2本のハナミズキは何年か前の嵐で片面の上半分の葉をなくし、えぐれてしまっていた。1本は、この春ほぼ回復して新たな葉をつけ、もう1本はあと1メートル四方ほど。来年の春、生きていて、見たい。


9月25日(月)
やっと。昨夜は何か月ぶりかで機械の助けなしに過ごした。5時半、爽やかな夜明け。コーヒーを飲みながら新聞を読み、開け放った大きな窓から鬱蒼と繁る緑の木々の隣りにいつの間にか葉を鈍金色に染めた木、発見。


9月24日(日)
a magical realist novel が「魅惑的な写実小説」などと訳されているのが多く、一応「魔術的リアリズム小説」と添削して、コロンビアを出た時の話だしと思う。でもラテンアメリカ文学は私にも遠い。懐かしきボルヘス。


9月23日(土•休)
本棚に長いこと静かに立っていた本を開き、扉に著者や訳者からのひと言が書かれていたり、贈ってくれたひとの手紙とかメモが挟んであるのを見つけるのはうれしい。時には一日中、過去のやさしさに包まれて過ごす。


9月22日(金)
『英語となかよくなれる本』を読み一面織もない私に電話をくれて、翻訳塾という想像もしていなかった世界をくれた磯野昭子さんがACCを定年退社という。私は新しい世界を差し出せないけれど、今日はゆっくり話せた。


9月21日(木)
Xには中途半端な登録で、たまに読めるが、同じようにアクセスしても反応がその都度違う。今朝は公子さんが甲賀さんについて書いたものと写真だけが次々と現れ、素敵だったが二度目はだめ、夢の読み物のようだった。


9月20日(水)
「女性らしい理性と勇気に期待する」と言われたらよかった。でももちろん理性と勇気が女性にだけ備わっているわけではなく、要は女らしい、男らしいという分け方が不自然なのだ。なんて今さら言うことでもない。


9月19日(火)
女と男が相互にもつイメージは、どうしたら自然体になるのだろう。岸田首相は13日の内閣改造で閣僚19人のうち5人を女性として、「女性ならではの感性や共感力に期待する」という。どういうこと? ため息しか出ない。


9月18日(月•休)
朝、都現美の『デイヴィッド•ホックニー展』へ。iPad などを駆使しての新作が明るくて楽しかったが、描くことが純粋に好きで裕福になると、こうなりそうと思う。初期の作品が懐かしい。画集 A Bigger Book は完売らしい。


9月17日(日)
フェルナンド•ボテロ、91歳で逝去。故郷はコロンビア。昨年、文化村で作品を実際にまとめて見て、衝撃的によかった。幸せの追求に納得。画集でみたマネ「草上の昼食」オマージュでの男女の入れ替わりも素晴らしい。


9月16日(土)
来年のパリ•オリンピック開会式はセーヌ川に船を浮かべて行われるという。そのほかトライアスロンの水泳区分もセーヌ川になり、川の浄化に市を上げて、という記事を課題にした。この前のパリ開催はちょうど百年前。


9月15日(金)
体調を崩した。熱はないし、今日は家にいられる。午後、ネット注文した食品をマルエツから受け取るだけ。アンジェレがありませんと電話があった。大丈夫、まだ1日分はある。好きなものは見つけた時に買っておこう。


9月14日(木)
読んで本棚で年月を過ごさせ、いい本なんだけどな、と思って処分できない本を講座に来てくれる人たちに貰ってもらう。一応、この人にはこれと考えるけれど合っていないかも知れない。それもまたよしとして強引に。


9月13日(水)
昨夜は珍しくぐっすり眠った、と思ったのに今日はやたらと目がパシパシする。通常も授業の時はライトが眩しく感じられるので薄い色のサングラスをかけるのだけれど、終わった後もかけていたい。これも年齢のせい?


9月12日(火)
ベランダ側の半分を網戸にして風を入れながらエアコンを効かせる。もったいないけれど添削するには最適。今週は明日から4クラス全部あり、それぞれの状況にもっと緊張するよう私に言いきかせて、b g mはスロージャズ。


9月11日(月)
東京消防庁から「救急車ひっ迫アラート!」のメール。救急隊の出場件数が増える一方、搬送者の53.4%が軽症と診断されるという。いいじゃない。その半分は頼んだ時きっとひどく辛かったのだ。救急隊を倍にしよう!


9月10日(日)
1964年東京オリンピックで優勝した日本の女子バレーボール「東洋の魔女」たちは、試合中にたびたび緑色のパンツからタオルを出して汗で濡れたコートの床を拭いた。雑巾掛けの勝利だと私は思った。今は係にやらせる。


9月9日(土)
謹呈とある本を棚に見ると自分がお礼を述べたのか気になる。そして思いは広がり、社会への入り口で私を指導し支えてくれた衣奈多喜男さんや辻豊さんに心からの感謝を表したことがあったのか、深い反省に包まれる。


9月8日(金)
台風の接近で朝から雨。一気に涼しくなったことは嬉しい。昨日みた展覧会の写真集は笠井久子さんに送ろうと思い、その前にじっくりと眺める。舞台の上の表現者を瞬間的に固定化する表現者「カメラマン」達の目・・


9月7日(木)
新宿ACC の後、近くのギャラリーに舞台写真家による『私の一枚』展へ。目当ては土方巽が大野一雄を抱えて、あの『ラ・アルヘンチーナ頌』初演のカーテンコールに登場した一瞬(池上直哉 1977年モノクロ撮影)。


9月6日(水)
私の頼りない鉛筆文字が升目を埋めた原稿用紙が、黄ばんで、どさっと紙袋から現れた。大学時代にインドネシア語やオランダ語を訳したもの。流し訳をしただけで読み直しもしていない。一応、勉強したらしい。捨てるね。


9月5日(火)
江戸川区に住んで40年を越し、驚く。自分が子どもから大人になるまでを過ごした武蔵野市と立川市がいつも気になる。立川で新市長が生まれたが投票率は30数%だった。市民が政治に無関心な所で暮らしは良くならない。


9月4日(月)
朝、久しぶりの雨。気象庁データによると今年の8月は、7月に続き、この126年間で最も暑かったという。千代田区は31日間すべてが真夏日だったそうだ。今日の雨も爽やかではなく、じっとりと暑さがこもっていて重い。


9月3日(日)
授業をして、その帰りに公演とか展覧会に、というパターンがきつくなりチョッキ(直帰)が当然になってきた。昨夕は狛江の「いわと寄席」に行きたかったけれど、昼公演になるのを待たなくては。とくに講談を聴きたい。


9月2日(土)
バッハ「フーガの技法」が佐藤浩一のピアノで響き平山素子と笠井叡が踊った。空間が言葉で満ちている気がしたのはなぜだろう。でもどこの国の言葉でもない。横浜赤レンガ倉庫で。章枝さんが同行してくれてよかった。


9月1日(金)
「ものなべて金色はなつ夏の日に/河面をすべる遊行舟/手にあまる櫂を繰るおしゃまな加勢/その漕ぎぶりのかっこよさ/されど小舟はけだるげに/ゆらりゆらゆらさまよい遊ぶ」(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス 献呈の詩』冒頭)(石川澄子訳)