10月31日(木)
自宅のパルスオキシメーターでSpO2が95%から97%に上がるようになった。でも風邪状態で身体が重い。スタインベックの愛犬チャーリーとの旅に書かれている黒人の話を私は当時、軽く読んでいた。読み直しも大切。
10月30日(水)
熱、咳、鼻、喉のための錠剤とコロナ治療の抗ウイルス薬ゾコーバを処方されて家で静かにしている。すでに平熱になり、咳は時たま思い出したように襲ってくるけれど、もう深まっているので終末期にあるのが分かる。
10月29日(火)
昨日、午後には7度3分になる熱が気になり、終了まぎわの診療所にいく。まさかのコロナ通告。やっぱり油断していたのだ。とにかく翻訳塾の休講をカルチャーセンターに依頼して、薬の山を前にして呆然としている。
10月28日(月)
すでに多く訳されているものを課題にするのは止めよう。誰が訳していようと関係なく自分の訳を、というのだけれど。活字になった訳の方が上手い、文法解釈も合っていると思うのか。そんなことは絶対にないのに。
10月27日(日)
小選挙区選出衆議院議員選挙。MLBワールドシリーズ第2選(ドジャースが2連勝)。全日本大学女子駅伝(立命大が2時間3分3秒の大会新で優勝)。競馬「天皇賞」(武 豊が騎乗したドウデュースがすごいツッコミで優勝)。私は風邪かな。
10月26日(土)
昨日の六本木行きが無理だったらしい。歯科医の帰りに寄りやすく、気になっていた展覧会だったので頑張ってしまった。マスクも忘れ、大手町乗り換えをしてはいけないのも忘れて人ごみの中にいた。身体が辛い。
10月25日(金)
『田名網敬一 記憶の冒険』展をみる。1936-2024、まさに我が同世代のアーティストながら、これまで点でしか作品に触れてこなかった。ありったけの想いを絢爛豪華にぶちまけた全容が国立新美術館で展開されていた。
10月24日(木)
浄く美しい儀式だった。妹弟、姪甥、親戚に囲まれ、白と青濃淡の花に埋もれて佐喜子姉は旅立った。戒名の中の「日喜」が豊かな私を、「妙医」が真摯な公を留め、南無妙法蓮華経の響きに包まれてこの世を去った。
10月23日(水)
O・ヘンリーの1905年の作品に shampoo という言葉があり調べると、いたって古い歴史をもつ。日本では商品として1932年に花王が売り出し、まさに父の大仕事で、その後父は満州の支店長となり38年に私が大連で誕生。
10月22日(火)
タブッキの講演を須賀敦子の通訳で聞けたのは大切な思い出だ。1997年末、イタリア文化会館でのことで、それからわずか3ヶ月ほど後に須賀敦子は亡くなり、タブッキは須賀さんと同じ年齢の時ほぼ同じ月日に死去した。
10月21日(月)
ちゃあちゃん。私の中学校入学式に大学を休んで付き添ってくれた。父は次姉の、母は弟の入学に立ち会うためだった。抗生物質の研究に打ち込む姉に頼まれ、私は遠足先から必ず土を取ってきた。今日、未明に永眠。
10月20日(日)
老年と言えば私の記憶力も危ない。意識せずにしたことが記憶に留まらず、すっと抜けおちる。今日もノンアル6個セットを買って、他の物と一緒に配達を頼んだかどうか、あの重さを袋に入れた覚えがない。入っていた。
10月19日(土)
最近の眠りのパターンは、夜3時間ぐっすり眠り、1時間起きていて、また3時間眠るというもの。その前に夕方 1、2時間、とても眠い。何とか我慢して起きているけれど、30分位眠っていた気配があったりもする。これが老年?
10月18日(金)
米野球の試合を即時でスマホで楽しむ。少し涼しくてウドンも美味しい。世界のあちこちで上がる戦火に胸を痛めるなどと言うのが恥ずかしい。でも北朝鮮が韓国を敵と見なすべく憲法を変えたようだという情報は悲しい。
10月17日(木)
地下鉄で、踝まである真っ白なバルーンのスカートを穿きデニムの短いジャケットを合わせた素敵な女の子を見た。外国人が日本の女性のおしゃれは個性的で、しかも誰もジロジロ見たりしないと羨ましがるのも分かる。
10月16日(水)
足の災いの雲の中に入ったらしい。横断歩道でタクシーに足先に乗り上げられた人、捻挫して足の小指が骨折した人、母上が足が痛いので付き添っている人ーー他にも欠席があって今日の出席者は二人。これもまた楽しい。
10月15日(火)
病院ではどんどん機械類が進化する。今日の健診ではレントゲン撮影も、とても早かった。以前はアゴを上げろ、動くななど微調整が多かった。腕から血を取るのもスイッと上手で、あ、これは機械じゃない、看護師さん。
10月14日(月休)
なんて美しい空。雲。でも出かけるより家にいたい。予定では「午後2時 銀座・王子ホール」。夜の音楽会に行けなくなって貴重なマチネーのはずだった。ひたすら静かに光溢れる中、手紙を書こう。友人に、知人たちに。
10月13日(日)
昨日からようやく秋晴れ。行きたい展覧会は幾つかあるけれど心は寝たきりの姉にある。15分しか面会できないので、家族のだれかれが行ったよと聞くだけ。秋の明るさは透き通っていて、静か。日曜は歌壇俳壇をよむ。
10月12日(土)
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会に贈られる!私は憲法9条を守る運動への授与を応援する署名に参加してきたけれど、この真摯な草の根運動に光がさらに当たって世界に知られることがすごく嬉しい。
10月11日(金)
昨夕8時頃、朝日速報で「ノーベル文学賞は韓国のハン・ガンさん に」とメールが入り、英Penguin Books からも「Han Kang の受賞と英語訳『Greek Lessons』の紹介」メール。斎藤真理子訳『ギリシャ語の時間』だ。早い伝達。
10月10日(木)
今朝の「ひととき」で64歳の女性が、家の外壁塗りに20代の女性が男性同僚を伴い大型トラックを運転してきて見事な足場を組み立てた、と感激。以来、足場を見るのに夢中という。そのことも素敵、感激したあなたも素敵。
10月9日(水)
SNS の世界で「日本ほど街中、交通機関、建物内にゴミがなくて、きれいな国はない」と言われているらしい。確かに近年、駅の構内なども絶えず掃除機がかけられている。いつ頃から? 案外最近のことのような気もする。
10月8日(火)
野口玲子さんのマネジメント事務所に聞くと、とつぜん激しい貧血状態になって入院、一時的と思われたのが4日後に亡くなられたとのこと。私は招待者リストで連絡を受けたのだった。ただ、ただ悲しい。今日は雨降り。
10月7日(月)
茫然となる。この14日の王子ホールでの独唱会を楽しみにしていたソプラノの野口玲子さんが、2日に急逝されたという知らせ。他にはない美しい言葉に会えるプログラム、阿佐ヶ谷でランチの約束、ウィーンの思い出・・
10月6日(日)
昨日までの怒涛のような日々が過ぎ静かな時間が戻ってきた。まだ一部の内窓を入れたりする作業は残っている。それでも家中が片付いた状況をもっと完璧にしておきたく、私もようやくダンシャリに目を向けられそう。
10月5日(土)
横浜で美礼と待ち合わせて武蔵境の病院へ95歳の佐喜子姉の見舞いに行く。わかったかどうか、ひたすら話しかける私たちを見つめる目と音なく動く唇だけが頼りで、そうしているうちに何となく姉の顔が晴れた気もして。
10月4日(金)
大工事の日。サッシを全部取り払うと外の景色がそのまま広々と家の中とつながって気持ちがいい。サッシが入るとすりガラスや幾つもの縁で遮られてしまう。疲れたと思っていたら、美礼が茶巾鮨を買ってきてくれた。
10月3日(木)
今日の外出はついていなかった。とくに帰り、船堀駅で10分バスを待ち、前から3番目だったのに最後まで座れず、西葛西で乗りかえたバスも座れず、バスを降りたら家まで霧雨で、いま疲労の塊。でも掃除をしなくては。
10月2日(水)
今年最終期に全4クラスでクリスマスにちなみ O. ヘンリーの”The Gift of the Magi” を始める。120年前の英語は、じっくり取りくむと味があって楽しい。と、思ってくれるといいのだけれど、添削の青インクの減り方がはやい。
10月1日(火)
「水は時であり、自らの分身を通して美を与えてくれる。ぼくらも一部は水であり、ぼくらもまたそのようにして美に仕える ••• 涙がその証拠だ ••• 涙はより小さなものからより大きなものを差し引いた結果なのかもしれない。たとえば人から美を。そして愛を。」(ブロツキー『Watermark』金関寿夫訳から抜粋)