2024年11月

11月30日(土)
穏やかに晴れわたる秋の日。家の北側が面している木々は半分がすっかり黄葉となって、もう大方が舞い散っている。夕暮には濃淡のブルーとホワイトのイルミネーションがお城をきらめかせ、私の好きな冬の光景となる。


11月29日(金)
年を聞いても失礼ではないと見えるらしい。タクシーの運転手さんが「お幾つですか」と聞くので答えると「わたしは96です」。とてもそうは見えませんね、と言うと「親父がです」。言葉が全部聞き取れない私は86歳。


11月28日(木)
長姉のいた部屋の向かいの部屋にいる次姉が、今もその辺りにいる気が、ふっとするのよと言う。自分の部屋のトイレを使わずに、わざわざエレベーターの横にあるのを使って、スタッフの人たちに声をかけたりしてね。


11月27日(水)
ジャック&ベティの上映予定表に『イル・ポスティーノ』が出ている。好きな映画10本に入る。見には行かれない日時だけれど、幾つかのシーンをありありと思い出させてくれた。せめてパブロ・ネルーダの詩を読もう。


11月26日(火)
ロサンゼルス・タイムズの21日付電子版を読む。「Shohei Ohtani、L Aスポーツ史上最高のM V P獲得」として、「ひとりがロサンゼルスの全てを変えた」と声高らか。すごいなあ。彼の自慢もせず謙遜もしないのがいい。


11月25日(月)
インフルエンザ予防注射をする。コロナはまた新変異株が登場。一度かかっても免疫性をもたないというのが厄介だ。私自身、少し気が緩んでいたので、この前罹ったのは良き経験だったかもしれない。気を付けなくては。


11月24日(日)
学生時代の友人の多くが、あまり外に出ない生活をしている。歩くのが辛かったり、眼鏡をかけても足元が覚束なかったり。同窓生のシニアハウスがあったらいいな。人生のどこかが重なっているって落ち着く気がする。


11月23日(土・休)
連休は晴天続きで、外に出なくても、黄色く色づいた葉が風に揺れるのをガラス窓越しに見て、静かな秋をたのしむ。でも今朝はイスラエル軍がレバノンの首都ベイルートの建物をミサイルで破壊する映像がTVに流れた。


11月22日(金)
今日の1冊を選ぶ流れがエゴン・シーレになり、その28歳の若さで去った人生を、われ86歳になった日に想う。ダラダラと生きている自分を反省はするのだけれど、今日は好きな歌を聴いて過ごし、明日からと思うことに。


11月21日(木)
オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーの「ローズ・ドゥ・ダマスの香り」は美礼から。薔薇とベチバーと肉桂の香りのボディミルク。ひとりでゴージャスになっていても、などとひねくれず、ゆかしい時をたのしもう。


11月20日(水)
ハヤト瓜というのを初めて知った。大きめのジャガイモを瓜型にしたような、ずっしりと重い薄緑色の旬の野菜。瀧澤さんからご自宅の畑での採れたてのプレゼント。浅漬けに、とのことだったが明日炒めてみよう。


11月19日(火)
半月ぶりに勝どきの仕事場へ。やや引越しムードになった部屋でパソコンにある1561本のメールを処理した。スマホで対応済みなので、ほぼ全て削除。午後は晶文社の深井美香さんからリッチの重版のゲラを受け取る。


11月18日(月)
白黒の “Migrant Mother “ は忘れられない写真。米女性写真家の草分けドロシア・ラングが1936年に撮ったもので、その当時32歳だった母親の名前も実際はチェロキー族だったことも、後に分かった。知りたいことは沢山ある。


11月17日(日)
中村屋のニクマンを幾つか買った。届いたのはニクマンとアンマン。えっと思ったけれど仕方ない。一つずつレンジで温めた。お茶を淹れて後から食べた一つがものすごく美味しかった。数十年ぶりのアンマンだった。


11月16日(土)
今日の土曜クラスで長い休みを開けて全再開。どの駅でも大きなスーツケースを運ぶ人達にぶつかる。インバウンド(外国人観光客のことらしい)とかオーバーツーリズム(観光公害)とか、身勝手なカタカナも増えた。


11月15日(金)
美容院で次の予約は2月と告げられた。ああ、もう年の瀬なのだ。1日、1日と歩く力が少しずつ戻ってくるのを感じる。濃さが深まった緑葉、紅葉、黄葉が混ざる木々がつらなる場を選んで脚を休め、束の間の秋に包まれる。


11月14日(木)
今日は新宿へ。最近は大学生くらいの男の子もバッグやザックにフィギュアなどを下げている。隔週木曜クラスが今日からO・ヘンリーに入り、全員が付き合ってくれるのは幸せなこと。ビルの入り口にツリーが立った。


11月13日(水)
翻訳塾、再開。授業中に疲れは感じないものの、往復にかけるエネルギーが出てこなくてトボトボと歩く。帰って1時間眠ったら、かなりすっきりした。白菜、葱、人参、椎茸、鶏肉、油揚、豆腐、銀杏のナベで元気補給。


11月12日(火)
今年の流行語大賞にノミネートされた30語のうち、ほぼ半分は知らなかった。この頃ほとんどTVをみないせいもあると思う。私としては「裏金問題」かな。好きなのはやり投げ金メダルの北口榛花「名言が残せなかった」。


11月11日(月)
足が道順を覚えるほどワタリウムに通ったのはいつ頃だったのか、記憶と記録が重ならない。ウォーホルやボイス、ナム・ジュン・パイクとの別の場所での出会いとも混乱している。1990年に完成したと確認して戸惑う。


11月10日(日)
大相撲九州場所の初日。碧山が9月に引退して、ジョージアに続いてブルガリア出身も幕内や十両にいなくなってしまった。楽しみは新大関になった大の里と、頑張ってほしい江戸川区出身の翔猿。お兄さんの英乃海も。


11月9日(土)
朝日新聞beパズルの「絵むすび」が今朝は難易度高く、すぐに取り組み2分で解答。ウェブで応募する。名前、住所が登録してあって打ち込む必要なく、応募受付のメールの返信があるのも爽やか。さあ、珈琲を淹れよう。


11月8日(金)
先日、葬儀の後で吉祥寺の家のお仏壇に姉の写真やまだ紙に墨書のお位牌を置いた時に用意されたのは全体が白で合間に薄いピンクの花々だった。95歳でも若い頃と変わらなかった姉によく似合って寂しすぎず、よかった。


11月7日(木)
仙台のみゆきちゃんから『ぐりとぐらとすみれちゃん』のポストカードが届く。中川李枝子さんも先月亡くなられた。北川暁子さんのリサイタルの後、よく次の場所にご一緒し、千駄ヶ谷の夜道で『ぐりとぐら』の話もした。


11月6日(水)
ああ、やっと治った、と実感する。完全に感染性をなくすために、あと1週間、カルチャーはお休み。米大統領選挙は共和党のドナルド・トランプ元大統領の返り咲きで決まったようだ。でも前の時のような驚きはない。


11月5日(火)
同世代の逝去が日常的に。今日は楳図かずおさん・・姿を見かけるくらいで話したこともないけれど、あの赤白ボーダーの家、私は好き。景観を損ねるという反対運動に「バカじゃない」と一吉祥寺住民としては思った。


11月4日(月・休)
1962年、海外美術展の開催に携わるという念願の世界に足を踏み入れた私は、学びとる意欲に溢れていた。そこがほとんど未開拓の、試行錯誤で築かれつつある分野だとは理解していなかった。いまようやく納得する。


11月3日(日)
快晴。我が身も数値的には問題なし。後遺症と言えそうなものもなく、強いて言えば眠い。元気にまではなっていないのかも知れない。ピアノを弾きたかったのに、物置きにしていたためか、どう聴いても音がくるってる。


11月2日(土)
日本全国、雨マークの青い傘が天気図を埋め、静か。娘と姪の差し入れで蛋白質やカルシウムを美味しく補い、緑茶で潤う。昨夜はTVで『ゴジラ−1.0』の最後のシーンを確かめた。敷島が明子を抱いて走ったのが不自然。


11月1日(金)
いつ、どこで感染したか想定して、発症から自分の感染性までを整理してみる。外出はまだ、しない。1階の郵便物は手すりに触れていいよう手を完全消毒して取りに行く。軽い風邪と大差なく、思わぬ時間のご褒美のよう。