12月31日(火)
大晦日。富士山の綺麗な頂上が朝焼けだろうか薄紅色の空を背景に毅然と浮かぶ、自宅から撮ったらしい写真が、美礼からメールで届く。銀座は空いていて、三越で立ち寄った「報道写真展」は内容が物足りなかった。
12月30日(月)
ハン・ガンのノーベル文学賞記念講演は朝日で全文が読めるかと期待していた。今朝の「折々のことば」が 「web ふらんす」から引かれていて、すぐ斎藤真理子訳の全文を見つけ、読む。清らかな強さに充ち満ちていた‼︎
12月29日(日)
天気予報図の宇都宮から下は長野に一つユキダルマ、あとは全部にオヒサマがぴかぴか。新潟から上はずらっとユキダルマ。とくに青森が豪雪に埋もれているようだ。今年の元日の能登半島地震に思いがとぶ。豪雨もあった。
12月28日(土)
詩集をみて、前はあまり気にしなかった詩人その人の生涯に惹かれる。シェリー。バイロンやキーツとの友情、後に『フランケンシュタイン』を創ったメアリー・ウルストンクラフトとの再婚、ヨット遭難で30歳での死。
12月27日(金)
今日から2週間、本と向き合える。その嬉しさも日頃を講座が支えてくれているから。昨日の新宿2クラスの帰りに RH で三人と話ができて、締めとなる気持ちのいい時間を持つことができた。横浜は2月まで休ませてもらう。
12月26日(木)
ふと指が滑って10年前の今月のページが開いた。人工関節を入れる手術をした頃だった。おかげで痛みは全く消え、いつの間にか10年。峯岸さんと笠井さんがお見舞いの「おまけ」にくれたボンタンアメがうれしかった。
12月25日(水)
朝、起きるかどうか考えながら、この頃はスマホでデジタル朝日のニュースQに応える。答えが三択の一問だけ。たぶん記事で読んだけれど,そこまでは覚えていないというスレスレの問いがうまい。このところ正解が五分。
12月24日(火)
クリスマスだからといって何もしないけれど、届いたカードや心のこもったクッキーが華やぎと、わくわく感をくれる。緑と赤が温もりをくれる。冬空は揺るぎなく青い。BGMは関係なくグレン・グールドを流している。
12月23日(月)
文庫になっている詩集がいい。すっかり古くなった白秋も懐かしい。70年も前の中学入学祝いでヤスコ姉の字で贈とある。理系の姉弟の中で一人だけ別と思っていた私が好きなものを、姉たちはよく知っていてくれた。
12月22日(日)
昨日の別刷be のアンケート「年賀状を出しますか」の結果はイエスとノー、逆だったというおわびが今朝の朝日に載った。楽しくなるほど大間違い。74%がノーという発表に、多すぎると思ったけれど真逆だったとは!
12月21日(土)
今朝は横浜へ早目に行くつもりだったのに京急特快で気付いたら横浜の次の上大岡。戻りのホームを迷いながら探し、なんとか遅刻はしなかった。銘々のクリスマスストーリーの最後にツリーのシールを貼ってサインなし。
12月20日(金)
たとえば5日間、ほとんど人と会わず、人と口をきかなかったら、さすがに閉塞感に陥る気がしたのは去年くらいまで。なぜ今年になって変わったのかわからないけれど、いつの間にか5日経っている。気づかないほど早く。
12月19日(木)
都心でも早朝に初雪が散らついた。連日の青空に、この暖かさが続くような気がしていたけれど、昨冬より25日も早かったそうだ。新宿からの帰りにバス待ちの時、空気の冷たさに手袋がほしかった。年内の講座もあと三つ。
12月18日(水)
昨日、白菜を買いに行ってブロッコリースプラウトとスナップエンドウを買った。忘れた、と思って冷蔵庫を開けたら白菜が1回分ある。そうだ、白菜は水曜日に買おうと思ったのだ。でも今日は思い出さなかった。混乱。
12月17日(火)
バーバラ・クーニーの絵が好きで、あちこちに置いてあった絵本をまとめた。『ロクサボクセン』(このタイトルの方がいいのに)は詩人の北村太郎訳も持っていた。ただ朝日での在籍が重なっていたなんて知らなかった。
12月16日(月)
棟の入り口に並ぶ山茶花が赤い花をひらき始め、膨んだ蕾がぎっしりと出番を待っている。木はどんどん大きくなってきて、いつの間にか見上げる高さ。自分がなぜ生きているのかわからない私にがんばれと言ってくれる。
12月15日(日)
晴れた日に家にいる、この上ない心地良さ。掃除、片付けとあれこれ気になるけれど、今はゲラ読みでしょう。外が薄暗かったり予定の時間が気になる時は集中できないから。いかにも、こうして生きてきた、そのまんま。
12月14日(土)
おせち料理の最後の売り出しがすごい。今日予約しなければ年が明けられないという勢いで、ありとあらゆる宣伝媒体で海老や黒豆や蒲鉾が舞っている。なぜ新聞社まで直売するのかしら。収益が上がるものだからかな。
12月13日(金)
地雷の恐さ、罪の深さ。ウクライナではロシアが投下する地雷ですでに千人以上が死傷し、国土の4分の1が汚染されているという。1960~70年代に米国はベトナム、カンボジア、ラオスなどに億という数の地雷を浴びせかけた。
12月12日(木)
船堀駅で乗客少数といえるバスが、あと3歩で行き着く私を無視して出てしまった。イジワル、と思った途端になぜか空のバスが来て、私と若い二人連れを乗せて出発。二人は途中で降り、西葛西駅まで私一人。寂しすぎ。
12月11日(水)
被団協へのノーベル平和賞授賞式がノルウェーで行われた。92歳の田中煕巳代表の綿密なスピーチ全文はもちろん、米国の1945年核実験から今に至る核をめぐる年表など、今日の朝刊は7頁にわたり保存して読み直すべきもの。
12月10日(火)
最近、地下鉄などの優先席の存在が知れてきて、白髪の私が乗ると、座っていた外国人がパッと立ってくれる。私は「ありがとうございます」と言って座る。日本語で会話をしたような嬉しそうな表情を見せてくれる。
12月9日(月)
ハン・ガンは光州生まれだそうだ。ストックホルムでノーベル文学賞受賞記念講演を行ったので、いずれ全文が読めると思う。『すべての、白いものたちの』を斎藤真理子訳で読んだ。美しい。鋭い。詩のような小説。
12月8日(日)
多摩川霊園での佐喜子姉の納骨式に、ヤスコ姉と私は気をつかわせるようなので遠慮して、終わってすぐメールされた写真をみる。父の百一歳に次いで九十五歳は長寿だったのね。雰囲気は変わらない若さのままだった。
12月7日(土)
明け方に寒くて目覚め布団を身体に引き寄せた。ようやく冬らしい気温になったのだった。街中でも突然コート姿を見かけるかと思えば、最近までの暑さを引きずってTシャツの人も。いつもの落ち着かない12月になった。
12月6日(金)
3日深夜近く、韓国で尹大統領が「非常戒厳」を宣布したと臨時ニュースが伝えた時は、光州事件を思い出して身体が固まった。でも6時間後には解除。咄嗟に議事堂に駆けつけて軍隊を押しとどめた議員や市民達の怒りゆえ?
12月5日(木)
清新めぐみ幼稚園の幼児達が半袖半ズボンで園の周りの枯れ葉を踏んで走っていた。一周する頃には長くつらなり、先頭の子が列の最後の子に追いつきそう。私にぶつからないよう先生が「片側に寄って」と叫ぶ。秋。
12月4日(水)
もう12月だと認めることに慣れない。スマホの画面になぜか日付を9月としてしまう。快晴が続くからか。でも木々は遅れ気味ながら正直に葉の色を変えて散らしていく。あの巨大なブロッコリーのような木も今は枝ばかり。
12月3日(火)
課題の訳がいろいろな事情から、 郵便で直接、我が家に送られてくることが増えた。今月から速達だと410円に値上がり。でも日曜歌壇にあった。「葉書代八十五円になりたれど昭和基地でも同額うれし」(つくば市 小林浦波)
12月2日(月)
体調が万全でない状態が日常にどんなに影響するか久しぶりに実感した1ヶ月を越え、リッチのゲラ校正に入る。ぎっしり付いた細字の注釈部分が大変だけれど、30数年前の翻訳を読み直すと言葉に勢いがあってうれしい。
12月1日(日)
「見守るフリスには、それはもはやスノーグースではなく、ラヤダーの魂が永遠の別れにさきだち、フリスにさよならを告げているのだとしか思えませんでした。フリスはもはや、鳥とともに天翔けってはいなかったのです。この地上に縛りつけられた身だったのです。」(ポール・ギャリコ/矢川澄子訳『スノーグース』から引用)