11月30日(木)
月の第5木曜で休みとなり、美奈さんの嬉しい勝どき来訪。ちっとも年をとらず、しっかり仕事をする人から沢山の話を聞き、沢山の人達を思い出して、エネルギーを補給された。久しぶりのデニーズは注文がデジタルに。
11月29日(水)
青い、どこまでもただ青い空の下で銀杏の黄葉が煌めくようだ。この秋景色は日本でしか見られないという、外国から訪れた人たちの言葉を YouTube の画面が伝える。そんなことはないと私はウクライナの秋を思い出す。
11月28日(火)
アーサー・ヘイリー をペーパーバックで10数冊読んだのは多分40代のこと。各業界の面白さ、女性の爽やかな活躍、読みやすい英語に駅のホームで4分、エレベーターの中で2分と静止している時間をことごとく当てた時期。
11月27日(月)
就職情報では2025年3月卒業予定の学生を対象にした就職人気企業のトップは6年連続で伊藤忠商事。軍事産業に関わらないでほしいのに。2位は講談社、3位は集英社。出版業界低迷化かと思っていたのに。マンガが強い。
11月26日(日)
たまに働く気になるのが、こういう季節。ちょっと寒いかな、洗いものはお湯で、の感じ。焦茶のコーデュロイのパンツに薄茶の毛のセーター。でもすぐ休む。甘いものの後、 新しい ARABIA のマグカップで熱い紅茶。
11月25日(土)
「じゃこ天」を食べた。美礼と銀座の箱根暁庵にお蕎麦を食べに行き、特別メニューに見つけて二人で半分ずつ。生姜を付けて美味しかった。愛媛県の特産品を秋田県知事が貧乏くさいと貶したために炎上し今、大売れ。
11月24日(金)
自分の文章で辛うじて気に入っているのは高校と大学の間で書いた「太宰治批判」だけで、小学生の時に詩をかいては、先生から大人の真似と言われて心に刻まれた傷が、この年になっても消えない。学校の先生は偉大。
11月23日(木・祝)
60年になる。同期の仲間で日吉さん宅近くの公園にいた。どうして知ったのか、ケネディ大統領が暗殺された、号外を出すらしいと伝わった。とにかくそれぞれ自分の職場に行ってみようと有楽町に向かった入社2年目。
11月22日(水)
バス停に遅く行くから席がなくなって立っていると、座ったばかりの席を譲ってくれるヘルプマークを付けたひとがいる。優先席にいる元気な人達へのパフォーマンスかもと思い、はっきりとお礼を言う。淡々と85 歳。
11月21日(火)
クリスマスには銀製や銀色の何かを贈りあう習慣がある。メイ・サートンの文に銀製の塩入れを貰う箇所があり、実物を調べない、いい加減な訳が多く、50年前にスウェーデンで頂いたのを重曹と熱湯で黒ずみを落とす。
11月20日(月)
朝は生鮭、ぶなしめじ、ブロッコリー、銀杏を蒸したもの。柿にカッテージチーズ。マフィン。コーヒーと日本茶。ジュディ・シカゴをネットで調べていたら、1939年生まれで「まだ存命中」とあった。正直な書き方。
11月19日(日)
4日続けて外出すると、1日は家にいたい。それに昨日の駅はどこもスーツケースかベビーカーを押す人たちで溢れていた。エレベーターも2回待ちだった。近所をゆっくり歩いて元気な緑と遊んでいるような紅葉を愉しむ。
11月18日(土)
雨があがり秋らしい空気の中を歩く。強めの風に落ち葉が舞う。今はないNYのワールドトレードセンター106階のあのレストランで食事をして生バンドで踊って楽しかった、あれは誰とだったかがどうしても思い出せない。
11月17日(金)
昨朝刊でイスラエル軍のガザ地区病院突入の記事の横にーー「(日本は)英国、イタリアと共同開発中の次期戦闘機について、第三国への輸出解除を確認している。」すでにライセンス生産品である部品は輸出。あゝ。
11月16日(木)
イルミネーションは新年版に続きますよと教えてもらえた。よかった。5時になると暗いのが寂しくて。キリスト教でも仏教でもイスラム教でもユダヤ教でも、いい。私は八百万の神を崇め、自然と宇宙の中で生きていく。
11月15日(水)
古い雑誌もいい。今日あげた河出書房の『文芸』は単行本より小さい版だった最終号。当時の書き下ろしの完成度の高さに感嘆する。そして世界文学全集、現代の文学、世界の大思想など新刊案内も綺羅星の如く・・
11月14日(火)
昨年も書いた気がするけれど、年末に住処の辺りがイルミネーションでキラキラ輝くのが、とても嬉しい。今週から新デザインでパッと明るくなった。クリスマスのお祝いだそうで暮れになると終わってしまうのは残念。
11月13日(月)
それで今日は藤本和子訳の『アメリカの鱒釣り』をここに。錚々たる翻訳者達が影響されたという名訳で、もちろん同感するけれど私は彼女の訳者あとがきや註に惹かれる。ただ一般的には訳書に必ずそれが必要かは疑問。
11月12日(日)
本の整理をしている。ここに記載しておきたい好きな or 大切な本、綺麗なまま翻訳塾のひとたちに「あげる」と押し付ける本、古い良書なので古書店に送る本、古紙とする本。勝どきの本を運ぶスペースを作るために。
11月11日(土)
接種した腕が少し重く感じられるので一日、家で雑事。書斎が山積みの紙類に埋もれるとメイ・サートンが嘆いていて、はるかに低レベルながら私の身の回りもそんな感じ。2週に一度来てくれる古紙回収を頼りにする。
11月10日(金)
コロナ禍の緊張感がなくなっているかもしれない。でもこの前のワクチンの効果が切れる時期で、第7回接種をする。最初の大騒ぎとは打って変わって、いつも行く診療所で。いつ「あの頃は」と振り返られるのだろう?
11月9日(木)
朝6時の南の空が夢の中にいるように美しかった。明けた薄い灰青色を背景に柔らかな薄桃色の雲がちぎれちぎれに棚びいていた。ベルク「ある天使の思い出に」の一節を渡辺玲子の深く透き通るバイオリンで聴いたあとに。
11月8日(水)
歯の治療はほぼ言われるがまま、一番いいように考えてくれていると信じている。今は被せてあった古い殻を新しいものに替えている。その仮歯が外れて、今日、入れ直してもらった。何でも食べられるのを幸いとして。
11月7日(火)
立冬、なのに今日も気温は高く朝から24度。快適ではあるけれど半袖の人を見るとやっぱりおかしい。中国では立冬に餃子を食べると冬に耳が凍らないと言われる。むしろ冷たさで耳を真っ赤にした子供の姿が懐かしい。
11月6日(月)
何年ぶり? と互いに首を傾げあって笑った。岩崎和子さんとは小学校5年生の時からの友達だけれど実際に会うのは本当に久しぶり。ただ私は喋るのが上手くなく、こういう時ひたすら相手に話をさせてしまう。申し訳ない。
11月5日(日)
西村朗さんへの吉田純子さんの惜別が新実徳英さんの別れの情景で終わるのを朝刊で読む。関係なく書棚から取った武満徹『時間の園丁』をふと開いた頁が、この二人の作品演奏会について。私の日曜は予定外の思考へ。
11月4日(土)
三連休の中日で駅や交通機関は家族連れや若い人達でどこも混んでいた。どこかに遊びに行きたいと思う気持ちはなくなった。では何をしたいかしら・・家で楽な姿勢で気分にあった曲をぼーっと聴いているのがいい。
11月3日(金・祝)
明日の講座もメイ・サートン80歳の日記『Encore 』から。邦訳があるのかネットを見ていたら水野るり子さんの文に出会った。私が自著の中でこれを紹介していることを私の名をあげて書いてくださっている。胸に迫る。
11月2日(木)
イスラエルとイスラム組織ハマスの軍事衝突でガザ地区は悲惨。日本では原発の原則40年運転期間が60年に延長され、鹿児島の川内原発2基を加えて6基になった。世界に類を見ない。今日は全国で気温25度以上の暑さ。
11月1日(水)
「なにかできる/なにかできない/きっとみんな自分にできることを/ずーっと探しているのだろう/自分にできることをみんな/ずーっと探しているとしたら/ボクたちはなんていうか/すごくマジメなんじゃないだろうか」(『名もなき詩』からーいがらしみきお「なにかできる?」)