2023年12月

12月31日(日)
林のり子さんからお兄様で建築家の泰義さんが亡くなられた時の様子を聞く。なんの予兆もなく夕食の席で、すっと息を引き取られたという。1936年生まれでいらしたので、のり子さんとはほとんど年子だったと今気付く。


12月30日(土)
年賀状を書き始めた。元旦に着かなくとも元旦に出すのもありと自分なりの理屈をつけて。それでもキラキラとおめでとうございます!という気持ちになれず、これまでのように金色も使わず「迎春」だけに心を込める。


12月29日(金)
2023年があと2日しかないなんて、どういうことだろう。2、3日前、素敵な満月だった。その穏やかながら凛とした佇まいに、ありがとう、そこにいてくれて、と呟いてしまった。周りに何もない、カチッと、いるだけ。


12月28日(木)
今日の新宿2クラスで今年の翻訳塾は終わり。でも来週末には新期が始まり、寂しくなるひまはない。受講してくれる人が減って閉鎖になるクラスが出そうだけれども、それはそれで構わない。もう少し時間が欲しくもある。


12月27日(水)
招待券の期限が今日まででsompo 美術館の『ゴッホと静物画』展へ。激しさより繊細さが溢れる絵が多く、立派な額に入らず、そのまま木の床に接した壁に立てかけられたり、絵の具が散らばる机にのっているのを見たい。


12月26日(火)
昨夜ゆりかさんと電話で話していて、私たちの年代は激変の時期の中を泳いできたと思う。大戦後の壊滅状態の日本を少しは実感する子供時代からコワイ、タリナイ、キタナイを蹴飛ばして懸命にキレイを見つけてきた。


12月25日(月)
なにか生の音を聴きたくて、マチネーのなかから「グレンミラー・オーケストラ」を選び浜離宮ホールへ。聴くならブルーノートかライブハウスでなきゃ、と分かった。これで落ち着いて、一人で部屋に閉じこもれる。


12月24日(日)
「新しい耳」が、三軒茶屋での数年前のテッセラ音楽祭シリーズから、高橋悠治さんのピアノ演奏を動画で送ってくれた。オリヴァー・ナッセンの「祈りの鐘の素描」。ひとり、ただ静かに過ごす部屋でスマホで聴く。


12月23日(土)
クリスチャンではないけれど、英語で本を読むうえで必携の聖書や讃美歌はいつも手元にある。『讃美歌』は全て楽譜つきで、読む=歌う。綿密な索引もいい。曲にインドネシア民謡とか林光など思わぬ名前を発見する。


12月22日(金)
集英社の「青春と読書」の全ページに目を通す。そして幾つかを読む。あと何社かの広報誌が届くけれど書き手も編集もよくてしっかり読むのは、これだけかも知れない。気になっている『モスト』をめぐる対談など。


12月21日(木)
昨日の夕方、左上腕部が痛くなった。どんどん痛みが増して、これは何か良からぬ病気だろうと考えた。今朝は痛みは薄れ、午後には忘れかけた。原因は昨日の朝、重いゴミを運んだからだと思う。ゴミは溜めないこと。


12月20日(水)
カードをもらうのはとても嬉しい。毎年とびきり綺麗なクリスマスカードを送ってくれるのは、何十年か会っていず男の子としか呼べない昔のクラスメイト。年賀状はやめると書いてきた人は受け取りたくもないのかな。


12月19日(火)
オタール・イオセリアーニ監督、逝去。17日、トビリシで。素敵な作品を数々残してくれた。『汽車はふたたび故郷へ』が日本で初公開された時、有楽町のホールでご挨拶があった。お辞儀はいやだ、ハグしようと呼びかけた。


12月18日(月)
今日は冬のコート。勝どきの歯科医院を出ると晴海通りを挟んで目の前のマンションに我が部屋の窓が見えている。遠くの信号まで行って渡らずにバスで銀座三越に行ってお弁当を買い、バスでマンションの前まで戻る。


12月17日(日)
今日の朝刊の天気図! 新潟から札幌までの8市は6時から24時までぴたっとユキダルマが並ぶ。そして宇都宮から高松まで14都市はオヒサマ並び。福岡にだけユキダルマがいても気にしない。娘はもう住んでいないから。


12月16日(土)
横浜土曜クラスは今日で今期終了。今年のクリスマス関連では、50年前にスウェーデンで頂いた銀の塩入れを各クラスで見てもらったが、今はネットで見るとアンティークとして紹介されることが多い。漆の屠蘇器に似て。


12月15日(金)
長生きでも今だに日々の空の変化に心動かされる。この時期、夕方4時半には暗くなるって知っていた? 昨日5時に新宿住友ビルを出る時はアラビヤ風クリスマスツリーが夜目に煌びやかだった。今日は買い物から急いで帰る。


12月14日(木)
1987年創刊で年に3回出版の『神奈川大学評論』を知った。送ってもらったバックナンバー2冊と最新号を読む。風が軽やかに吹き抜けるさまが気持ちいい。宣伝(なんであれ)やお知らせがほとんどないからに違いない。


12月13日(水)
大谷翔平がLAドジャースに移る。2018年4月、MLで初の本塁打の時に喜び一杯ピョンピョン跳ねていた、あの気持ちでいてほしい。ドジャースタジアムって、昔、私が行った所?なんて考えていたら石井さんの夢をみた。


12月12日(火)
シティコープ清新で誕生会。ボードに手製の花飾りやツリー飾りがあしらわれ、一つひとつ、準備してくれるひとたちがいるのだなあと思う。帰りに和田さんが「佳いお年を」と声をかけてくれた。もう、そういうこと!


12月11日(月)
今週は翻訳塾が4クラス、全部ある。毎年この時期はクリスマスが中心の課題にして、英語圏に多いキリスト教に根ざす文化や生活に触れておくのだけれども、トリを形のまま料理して食卓にあげるのは好きになれない。


12月10日(日)
陽の光が燦々とガラスに注ぐなか不意にスチール梯子が3階からベランダに降りてきた。検査の日だった。お餅つきの日でもあって大勢が早朝から準備してくれている。私も若い時は寝る間もなく忙しかった。暮れの日々。


12月9日(土)
『ゴジラ–1.0』は「ゴジラマイナスワン(GODZILLA MINUS ONE)」と読む。ゴジラ生誕70周年記念で、私としては多分、高校生の時に最初の『ゴジラ』をみて以来。単に面白いと言える希望、共存の作品にはならない?


12月8日(金)
今日から週末になる週で、午後3時頃から郵便局、銀行、花屋などの用事を済ませて映画『ゴジラ−1.0』をみて6時過ぎに帰る。相手が巨獣でも戦艦や戦機が必要なのは辛いと思いつつ、心情的には泣けてしまう最後だった。


12月7日(木)
昨日の親切な人は私だけ気にかけてくれるのではない。バスに乗るときは、まず自分が席を確保して、年寄りに座らせることを「使命」としているのだ。自分は遊びに行くのだけれど、せめてそれだけの「仕事」はする。


12月6日(水)
空の青が深い。朝、バス停の椅子を確保しておいてくれる人がいる。私が通ると「おはよう」と声がかかってその人が立ち上がる。乗車のとき私はもちろん列の後ろに行くが、その人はまた空席を見つけておいてくれる。


12月5日(火)
斉藤勝さんが9月に亡くなられていた。多摩、上野と動物園長を歴任し、私を動物園協会評議員にした人。「動物も教えられて成長するんだよ、本能で動くことなんて、たかが知れてる」。去年、電話で話したのだった。


12月4日(月)
公演のチケットを取る都度、違う団体の会員にならされるのは不安だ。予約したチケットをファミリーマートのマシーンを操作して受け取るシステムは当初より単純明快になってきた。でも会場で払って入る方が好き。


12月3日(日)
愚かな弱点。待つことに囚われて他に手がつかないなんて本当につまらない。今日の届け物は考えてもいなかった朝のうちに不意に着いた。再配達もあるのだから予告に縛られるのは、もうやめよう。もっと自由でいよう。


12月2日(土)
宅急便の受け取りが苦手。昨日はヤマトからメールで時間指定なしの配達通知があり一日中待たされた挙句、夜10時近くに「配達が間に合わず持ち帰った」とのこと。今日は夕刻を指定したのに7時半にやっと。疲れた。


12月1日(金)
「一九三九年 ポオランドに むごたらしいいくさがあった。多くの町や村々が いちめん荒野原になった。/子供たちはのがれたかった。/寒風のさなか くたびれはてて ふるさともなく あてどもなく。/もとめるは 安らぎのくに。砲声もなく 銃火もなくーー(ブレヒト 詩/矢川澄子 訳『子供の十字軍』から抜粋)