2024年3月

3月31日(日)
天児牛大、逝去。舟越桂、逝去。74歳と72歳。初めてみた天児はいつ、どの公演でだったか。大谷石を舞台にしたデビューを朝日グラフで見て衝撃を受け、以降の白塗りと呼ばれる舞踏の数々を、見られるのは全部、見た。


3月30日(土)
私の頭へのご心配、ありがとうございました。いつもの診療所で、この状態で脳外科に行っても経過をみることになるだけと言われ、コブの痛みもなくなり留意しています。「アホ」の坂田さんが82で亡くなり老衰ですって。


3月29日(金)
一日中ゆっくりする。あれもこれもと待たれていることは沢山あるけれど、今日はごめん、暖かくて静かな中で、フワッとしている。朝はピーマン、トマトとベーコン、アボカド、マフィンとブルーチーズ、熱い珈琲。


3月28日(木)
新宿での講座中、リリー・マルレーンについてスタインベックが書いたものでマレーネ・ディートリッヒの話をして、もうひとりの好きな歌い手を必死に思い出そうとしていて帰り道でやっと名前が出た。ウテ・レンパー。


3月27日(水)
晴れあがった日の夕刻。雲が薄い鴇色に染まっていく。集合住宅の真っ白な壁が光を跳ね返して輝く。密集した灌木のさまざまな緑が夕闇を呼ぶ。QRコードを開発し特許を開放した原昌宏さんて素晴らしい。エンジニア。


3月26日(火)
今朝の「ひととき」の投稿は飴が好きな富山県のひとで、こういう人が私は好き。早朝に新聞配達をする時は一粒の飴で元気付き、海外旅行に行く時も必ず飴を持っていく。70歳のことばは「日本のあめを大事にしたい」。


3月25日(月)
4日前、頭を打った時、自覚はなかった。気付いた時には床に座っていて数人の手が私を立たせようとしていた。一人が頭をぶつけた音がしたから気を付けて、と言った。毎日予定があるけれど、脳外科に行っておこうか。


3月24日(日)
黒木三千代の30年ぶりの歌集、前歌集『クウェート』、その代表歌「侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる」、高野公彦による歌の解説ーーその全てをまとめた小島なおの今朝の「短歌時評」。


3月23日(土)
日本のあちこちで雪が降っているらしい。春だというのに。東京は雨。パンを買いにスーパーに寄ったら直売コーナーで芽キャベツを見つけた。うれしい。旬は12月から3月という短さで、冷凍ではなく採れたてを食べたい。


3月22日(金)
頭にコブができているので歯医者をキャンセルして家で静かにしている。待っていた横の壁にぶつかったのだと思う、一瞬、気を失ったから。狭いホームの柱の陰にあり人でごったがえしているエレベーターはやめよう。


3月21日(木)
事故。都営新宿線新宿駅で大江戸線への乗換エレベーターを待っていると、降りてきた男性に激しくぶつかられた。周りの人達と駅員とがやっと助け起こしてくれて車椅子で休憩室に行き10分休む。90分授業はできた。


3月20日(水)
高校生の孫娘さんが先生から薦められたボレスワフ・プルスの『人形』に感動し、東外大のポーランド語科を受け、合格したと翻訳塾のお一人からきく。素敵!関口時正訳も高く評価されていて、私も読もうか、1200頁。


3月19日(火)
書棚から取り出す本が60年は前に買ったものの時、人生を短く感じる。といっても記憶力がないから忘却の彼方にも思える。裏表紙の内側に吉祥寺のさかえ書房のシールが貼ってあると懐かしい。黒白のデザインが美しい。


3月18日(月)
哲学者・梅原猛の本は『隠された十字架』の印象が強烈だった。三橋節子の芸術を激しい筆致で描き切った『湖の伝説』を私はどう読んでいたのか。朝から読み直し、自分と同年齢で35歳で亡くなったひとの一生を追った。


3月17日(日)
30代の会社員が「自分ではFAXもバイク便も使ったことがない」と書いている。電車内で乳母車の中の幼児がスマホを見ているのも自然な情景となった。私もネットを駆使しなければ、もう「調べる」ことは無理。あゝ。


3月16日(土)
新聞でみた2枚の写真ーー中学卒業と同時に集団就職のため家を離れる女の子(1961年)、生活のために路上のくずを集める母親を踏切傍の敷物の上で待つ2歳の女の子(1958年)。人生を楽しむ大人のはず、きっと今は。


3月15日(金)
自宅に給湯管更生工事という銅管に専用塗料を施す二日掛りの作業が入っている。集合住宅ならではの一斉の工事は経年のための水漏れなどを生じさせない処置らしい。シティコープとしての質の高い判断はありがたい。


3月14日(木)
メトロで隣に身体がガッチリと大きなひとに座られ、押されて重い。こういうひとは遠慮してほしい。と言うのは、ひどい? 降りる時に見たら私と反対隣のひとも杖を持った小柄な女性だった。だから割り込んだのね。


3月13日(水)
一日中すっぽりと雨に包まれていた昨日の日本列島の目を覚ますかのように青空を背にした富士山が地上のあちこちから筋一本なくなめらかに真っ白く光ってみえた。戦後の焼け野原で富士山をみた詩はある? 教えて。


3月12日(火)
確定申告で1年間分のあれやこれやを思う。介護されないで頑張っているのに保険料が相変わらずばさっと年金から引かれている。こう書いていたら腹が立って甘酒のカップを回し混ぜするつもりでスマホを回してしまった。


3月11日(月)
米アカデミー賞発表で、数々の受賞作品が第二次世界大戦と関わるものだった。米映画『オッペンハイマー』、ゴジラと元特攻隊員との闘い『ゴジラ−1.0』、大戦の空襲で母を失った少年が主人公の『君たちはどう生きるか』。


3月10日(日)
1945年の今日、アメリカのB29爆撃機279機が東京に焼夷弾を浴びせた。6歳の私はまだ満州にいて、直接は知らない。でも同年齢の子供たちが瞬時に親きょうだいを失い浮浪児とよばれるようになったことは、絶対に忘れない。


3月9日(土)
大谷翔平の良さは走ること。6日、ホワイトソックスとのオープン戦でドジャース移籍後初の盗塁を鮮やかに見せた。古巣エンゼルスとの試合の前には My buddy と呼びかけるマイク・トラウトに駆け寄り熱いハグをした。


3月8日(金)
雪は夜のあいだに降って、ブラインドを上げると生垣の上が真っ白だった。今日から5日間、大きな予定なしなのがうれしい。来週後半に何日か作業の人達が家に入るので、いよいよ部屋を片付けておかなくてはならない。


3月7日(木)
外地を舞台に仕事をしてきて引退した男性を前に、自分は専業主婦だったから、とすぐ言う女性をたしなめた。一日の30分を読書にあてていたら、その男性の現地感覚に匹敵する知識や感性を溜めてこられたと思うから。


3月6日(水)
3月に雪の降ることはあった。そう思い出すほど寒い。「雪の降る」の「の」はどう説明されているのかな。「雪のふる街を」のように「雪が降る」より詩的。体言の後ろにつく格助詞でこの場合は主語を表す・・足りない。


3月5日(火)
家にいる日は午前中の2時間以上本を読んでいる。至福のとき。最近はリストにあげる本の数ページを読み直すことが多く、全部改めて読みたいものばかり。今日は田辺聖子の吉屋信子伝に引き込まれ、吉屋も!と思う。


3月4日(月)
池澤夏樹が岩波の『図書』に書いているーー「かつては政権党の中にも野中広務、橋本龍太郎、山中貞則、小渕恵三など沖縄を理解しようとする政治家がいた。今は皆無、ぜったいの皆無。」そうなの? なぜそうなの?


3月3日(日)
3月となり青空は少しぼやけて柔らか。骨の手術リハビリ中の美礼から病院の食事で桜餅が出されたと写真が届いた。病院栄養管理室からの愛らしいお内裏様の絵と優しい言葉を記したカードが添えられている。うれしい。


3月2日(土)
横浜の帰り、ほぼ1週間ぶりに勝どきの部屋に寄りパソコンの受信に溜まった950本のほとんどをひたすら削除していく。スマホと連結させているので大切なメールは両方に残したり分類したり。以前は全て手書きだった・・・


3月1日(金)
「あたしのばら園いっぱいに/花が咲きこぼれていたあいだ/あたしは胸ふたぐ思いで/その棘だけを見ていたのだ/春の空をゆく雲は/絵のように美しい/今収穫をやどした畑は/あたしの目をひらいてくれる/あたしの瞳は平原を渡る/風の音に合わせて踊りだす」(ビオレッタ・パラ『人生よ ありがとう』から 水野るり子 訳)