2024年4月

4月30日(火)
大切な『アーコのおみまい』は、50年前の「お迎えのおねえさん』から娘へのプレゼント。当時は奥付に著者の住所が入っていた。大石真は拝島に、安野光雅は小金井に住んでいる。今は亡き二人の若い時の素敵な作品。


4月29日(月・休)
アラン・ド・ボトンの哲学的旅を課題にし、訳す分量が長かったため添削に時間がかかる! 筆者の故郷チューリッヒを十七世紀オランダの画家ピーテル・デ・ホーホの絵を引き合いに出しての著述。明日中にあと10人!


4月28日(日)
11時頃、マルエツへ買い物に行く。青空に春の光が溢れ、花壇のうえを高く跨いで鯉のぼりが20幾つか泳ぐ。人影はごく僅か。カートを野菜や卵で一杯にして配達を頼む。シニアには百円で家の玄関まで届けてくれる。


4月27日(土)
最近のマイブームはデザートか食間に「極」というプリンを食べること。愛知県岡崎市の栄屋乳業製造の、たしか110円で、いつも冷蔵庫に幾つか入っているようにしている。カラメルソースに苦味が効いているのがいい。


4月26日(金)
『オッペンハイマー』があのようにノーラン監督によって作られ、アメリカで大勢に見られた。これまでになかった一歩ではあっても、すっきりはしない。前へと進もうとする人間の重い悲しさ。原書は American Prometheus。


4月25日(木)
気持ちに余裕のない1カ月だった。それなりに音楽を聴いたり本を読んだりしていながらも心の一部に薄い幕が降りているような日々だった。明日から仕切り直しができそう。まずは、気になっている手紙を数通、書こう。


4月24日(水)
あちらこちらで躑躅が一斉に花を開き始めた。濃い赤紫の大輪の花が密集しているのも好きだし、健康サポートセンター横の歩道沿いに長く続く真っ白の花もいい。今朝は雨に濡れたブロッコリー型樹々の緑が光っていた。


4月23日(火)
世界の軍事費は9年連続で増え続けているとストックホルム国際平和研究所が発表した。1位米国に次いで中国、ロシア、インド、サウジアラビア、英国、ドイツ、フランス、韓国、日本、ウクライナ、イタリア・・・暗澹。


4月22日(月)
言葉の響きがもっと美しければいいのに、と呼称にこだわりながらも活用するファミレス。美礼と駅前のローソンで待ち合わせるのは何ヶ月ぶりか。時間や周囲を気にせず寛いでいられる場は私の若き頃はなかったもの。


4月22日(日)
いわと寄席は雷門音助と金原亭馬久の落語。二人とも話し方が明朗で楽しかった。最後は馬久で思いがけず大好きな「抜け雀」。狛江は気持ちのいい場所だけれど、どこで乗り換えても延々と歩く。行き方を研究しよう。


4月20日(土)
横浜土曜クラスの後、6人で東洋文庫ミュージアムへ行く。キリスト教関係の企画展をきっかけにモリソン書庫を久しぶりに眺める。小岩井農場運営で併設されているオリエントカフェは庭が美しく、外の席が爽やかだった。


4月19日(金)
書けなかったが期限切れ3年後のレトルト粥を食べて七転八倒し、三つ大事故が続き、脳がダメなら終わっていいと思い森山の脳外科で診てもらう。初めてのCTスキャンの答は「問題なく若い脳」とのこと。予想外の展開。


4月18日(木)
硬い語調の訳文の中で「〜けど」を使う人がいるので「けれど」か「が」にするように勧めた。でも調べてみると中世末期にできた接続助詞「けれども」から近世前期にくだけた「けれど」と「けど」が生じたのだった。


4月17日(水)
大谷翔平が通訳に裏切られていた報道で、憶測や感想を安易に記事にしないと反省した日経はよかったけれど、締めの「彼らしい品のある放物線を描いた打球が、左中間スタンドへ消えた」・・・品のないホームランもあり?


4月16日(火)
家の傍で転んだ。失神事故の時と同じで気づいたら転んでいた。起き上がれれない。若い男性が走ってきて立たせてくれた。それから宮本夫人が来て、偶然5階から見ていて息子さんが駆け下りてくれたのだと分かった。感謝。


4月15日(月)
同じ所に住んでいても住居から見える景色は勿論全く違う。今朝早く16号棟の10階外側回廊から見る美しい眺めに息を呑んだ。光る荒川、東西線、日本橋に続くビル群、東京スカイツリー・・・空も途方もなく広かった。


4月14日(日)
映画『オッペンハイマー』は爆弾落下の先に人の命があることの表現が希薄で胸に迫る辛さがあり、ここに書くのはいずれ。演じるキリアン・マーフィーは『麦の穂を揺らす風』『プルートで朝食を』から大好きな役者。


4月13日(土)
昨年の暮れに三鷹跨線橋が閉じられて、いま撤去されているところらしい。朝日デジタルで懐かしく眺める、わが10代の光景。遠くを見たい時に登ることはあったけれど、いつも南口に出ては走って北へと踏切を渡った。


4月12日(金)
家じゅうのアルミサッシを新型に交換するための下調べがあり、ガスの点検があり、今日も家のメンテナンスのために落ち着かなかった。暮らしには手がかかり私の不得意分野だけれど、周りのお陰で生き延びている。


4月11日(木)
台湾のお茶が飲みたいと思っていてお土産に凍頂烏龍茶を5包頂く(缶入りだったりしない加減が私好み。分かってくれている)。或随自己喜好的濃淡度、増減浸泡時間、取出茶包後、即可飲用。うれしいお茶の時間。


4月10日(水)
日が長くなって、いま夕方6時を過ぎているのに明るい。晴天のためでもある。東京の日の入りは18時10分なので、間もなく今の薄青い柔らかさは消えていく。静かな夕暮れ。あ、窓の下の小径を照らす街灯に火が入った。


4月9日(火)
雨日なれど、ダスキンに頼んで家中の木の床全部がきれいになった。ソファ、肘掛け椅子×2、オットマン、ロッキングチェア、テーブル×2などを退けながら埃の棲家を滑らないワックスを使い4人でピカピカにしてくれた。


4月8日(月)
ソックスエイドの作り方がネットに、わあ、盛大にある。ファイルや下敷きを使って説明している。私は不器用で娘が買ってくれて嬉しいけれど、こういう知恵を伝える人達がデジタル世界と豊かなアナログ世界を結ぶ。


4月7日(日)
ソックスエイドの布部分が全部ほつれたので美礼に言うと、すぐネットで注文してくれて翌日には手元に届いた。早い。とにかく戦争は嫌と結ぶと唐突?でもガザでは飲む水もないのだ。戦争への間接的加担も許せない。


4月6日(土)
雑誌は魔物で、あまり取っておかないのだけれど、そうなると一層、不意に出てきたのに引きずり込まれる。『本の雑誌』2005年2月の260号「大雪かかと落とし号」。坪内祐三の読書日記があったりして読みふける。


4月5日(金)
この五日間、少し頑張らないとならないのに天気予報が全てわるい。曇か雨。今は遠くから見にくる人たちがいるという、80年を越す生誕記念の桜の咲き具合をお寺の写真に探す。そのご本人ももういない。無常の春。


4月4日(木)
ネットで読んだ話。大震災の1年後、迷い猫を育てていた家に配達に来た若い男性がいた。猫が跳びつき、男性は猫を抱きしめて号泣した。高校生の時に家族全員を失なってしまった男性は、やがてその家の娘と結婚した。


4月3日(水)
数日ほとんど外出しなかったら、その間に清新町入口の枝垂桜が満開になっていた。曇天の下でひらいた何百という小さな花びら・・バスの窓からもそこここで桜が見られる。黄色のレンギョウと真っ白のユキヤナギも。


4月2日(火)
心底から驚いたーー結婚した夫婦が同姓を名乗る日本の制度を続けていると500年後には日本人全員が佐藤になる!コンピュータを使って何を発見するか、東北大の吉田浩教授、偉い。選択的夫婦別姓、否応なしでしょう。


4月1日(月)
「国旗から言語、通貨、気候、宗教、風物・・・あらゆることがらを系統立てて創造し、架空の国をこしらえ、名づけ、その国が発行する切手を、短い生涯の間に四千枚も描いた画家。・・小さい頃からなぜか、閉じ込められている人・・に強いこだわりを感じてきました。ドナルド・エヴァンズも仲間です。」(小川洋子『あとは切手を、一枚貼るだけ』から抜粋)