2013年6月

6月30日(日)
自分が翻訳した短い文章が使われた歴史の教科書を送ってもらって読みふける。豊富なカラー写真に加えて載っている情報量の多いこと!でも今だから面白く読めるので、事実の羅列が暗記や試験と結びつく生徒は大変。


6月29日(土)
美しい少女を見た。制服なのか、細かな格子柄の水色の半袖ワンピースはサッカー地で、膝丈のごくシンプルな形。短い白のソックスをぴったりはいて、黒の革靴、大きな黒の布の鞄。ホームに立って本を読んでいた。


6月28日(金)
そっと渡されたのは、上野動物園のハシビロコウが手拭いになったものだった。上品な色合いで、飾っても使ってもよさそう。うれしい。このところ会いに行っていないので、機会を見つけなくてはと思う——嘴広鶴。


6月27日(木)
東京の街のあちこちに夜、顔だけのお化けがふらふらと出現するとか。車を運転する友人の話。薄暗い道を走っていると、スマホを見ながら歩く人が顔にだけ光を反射させているのだそうだ。とても怖い、と言っていた。


6月26日(水)
今度はウィンブルドン。ウェアは必ず白で、観客もほぼ正装。例えばスーツにタイ、女性は帽子の日に錦織の試合に駆けつけた八割は日本人という応援席は格子のシャツとかで、携帯をかざして写真ばかり。楽しい、かな?


6月25日(火)
久しぶりに空と川をしみじみと見る。雲が何重にも押し合っていて、合間の青い部分が無限に高い。川に光が射し込んだときの水の色は何色?金、としか言えないようでいて、金でもない。ああ、雲の縁が薄朱色になった。


6月24日(月)
区議、都議、国会議員・・・誰がどう働いたら国民の生活や環境はよくなるのか。日本にいる外国の人にとってもいい社会になるのか。世界の中で愛される日本になるのか。政党をなくして議員は全て個人にするのがいい。


6月23日(日)
映画『ピラミッド 5000年の嘘』を午前中、家でみていて、地球全体の壮大な謎の数々を繰り広げられていたら、都議会議員が誰であろうと気にならなくなってしまって…いや、いや、ちゃんとそれから選挙へ。


6月22日(土)
小川洋子『いつも彼らはどこかに』を読みはじめた。八つの短編はいずれも『新潮』初出の動物にちなむもの。先にすすむのがもったいなくて、しかもせかせかと急いでしまう。文末の著者紹介に生年を隠さないのが品格。


6月21日(金)
むかし、ホームレスの人たちへの炊き出しを手伝っていた。慣れない間、顔を見てはいけないような気がして俯いていたら、ベテランから明るく元気ににっこり渡してあげなさいと言われた。忘れられない教えのひとつ。


6月20日(木)
心に残る旅はたくさんある。ミラノ、ベネチア、キエフ、ベルリン、ソウル、ナント、パリ・・絶対に行ってよかったのはビルバオ。関口知宏のスペイン鉄道の旅を見て思い出し、匂いこそ現場でという言葉に共感する。


6月19日(水)
コレクションなるものをしていないけれど、したかったという想いはある。気がつくのが遅すぎて、いろいろな人が集めてしまっている。でも好きになるには時間が必要だし、一方で飽きっぽいのだから、所詮むりだった。


6月18日(火)
家での英語「サロン」でエッセイを巡って、なんであれ、失望するのではないかという不安を常に持つかどうか五人の感想を言い合うと、まったく持たないのは私だけだったよう。失望に強いというより理由なき楽観性。


6月17日(月)
CMに出て有名な現代文の林修先生。とくに今日の「笑っていいとも」の中で十分に時間をとった授業が、周りに迎合せず、とても面白かった。タモリに勧める本は中島敦『名人伝』で、簡潔で説得力のある説明が見事。


6月16日(日)
朝日新聞と New York Times がそれぞれ、すっぽりと薄いビニール袋に入って玄関に届いていた。雨が激しかったようだ。窓を二重サッシにしてから、近くの校庭の賑やかな音が聞こえなくなったけれど、自然の音も。


6月15日(土)
焚き火が好きだった。父が夕方に、その日に出たゴミや紙屑や落ち葉を庭で燃す。ちらちらと踊る小さな火を飽きず眺めた。そのうちに外で煙をあげることを咎められるようになり、ただ懐かしい光景になってしまった。


6月14日(金)
アメリカデイゴだろうか。現代美術館に向かう途中に1本だけ立っている大きな木が赤い花をいっぱい咲かせていて、ひとつひとつが小匙のような花びらをはらはら、はらはら撒き散らし地面に敷物のように広げている。


6月13日(木)
「そろそろのんびりしては、どう?」と友人から言われる。確かにもっと時間は欲しいけれど、十分のんびりしているし、今していることをやめるつもりはない。ただ、今をどれだけ続けられるかはむずかしい問題ね。


6月12日(水)
教文館のナルニア国で。長く読みつがれている絵本を変わらず見るのも嬉しいけれど、あらたな作家との出会いがあるのも幸せ。バーバラ・クーニーの作品の一冊を課題テキストにしよう。前の『エミリー』につづいて。


6月11日(火)
心から頑張っているなあと思える女性が世界に二人いる。日本の美智子皇后と英国のエリザベス女王。王室廃止論を唱える友人には叱られるし、わたしも制度的には全てを認めたくはない。でもこの二人は特別なのです。


6月10日(月)
きちんと食事をしないで、ずるずると太っていっている。昼食を一緒にするかと思いきや済ませてきたと言われ、夕食は家かと思っていた相手からは夜10時過ぎまで連絡がなくて振られ、ワインとチーズのからの山。


6月9日(日)
左腕にいつの間にか10センチ近い切り傷ができていて、どこで切れたのか、全然わからない。なぜかそこが赤い筋になって、さらに深くなり、見た人がドキッとするのが分かるので、長袖しか着られない。痛くはない。


6月8日(土)
昨夜1時過ぎまであったジョコビッチ対ナダルの全仏準決勝(決勝でなく)のせいで今日は一日中眠くて、まるっきりのろのろとしか動けない。グルジア語のクラスでも、そのことを最少の単語をつないでつぶやいた。


6月7日(金)
「少女はうれしげに涙ぐみながら、上等な重く丸いオレンジを二つえらんで、私にくれた。私は、喜んでそれをうけとり、その一つを、やさしくはげますため弱虫のロバに与え、もう一つを、金賞として、プラテーロに与えた。」 (ヒメネス『プラテーロとわたし』伊藤百合子訳から)


6月6日(木)
晴れているよりも今日のように曇りの日がいい。ときどき小雨がぱらつくと、もっといい。外は風があるのか、隅田川の川面が灰色に波打ち、船が通るたびに白い泡がくっきりと線を引いていく。とことんひねくれたい。


6月5日(水)
ローラン・ギャルスは世界で初めて地中海横断飛行をしたパイロットの名前だそうだ。錦織圭がナダルに負けたので、あとはジョコヴィッチ対ナダルの決勝戦になるのを待つ。シャラポワとアザレンカは声が大きすぎて。


6月4日(火)
先週、区役所で私用を済ませ、ふと誰かに挨拶したくて、区長に1分お会いしたいとも思ったけれど、区民課のYさんに連絡。すぐ受付に来てくれて、手元にあったからと和菓子を一つ持たせてもらう。何か、いい感じ。


6月3日(月)
「強制的」だったかとか「知っていたか」とかは問題ではない。根本的に原発も慰安婦も銃も戦争も、未来の世界からなくなってほしいと思うのに、「必要性は誰でも認める」などという言葉が表に出るのが心底、哀しい。


6月2日(日)
イギリスのコラムニストであるベンジャミン・ミーの実話『We Bought a Zoo』の映画化をTVでみることができた。映画は少し他愛ないけれど、いまもダートムーア動物学公園は健在。ひどいのは邦名『幸せへのキセキ』!


6月1日(土) ベルナール・ビュフェ美術館の6月の暦の絵は「アザミの花」。ビュフェらしい黒の直線で緑の茎と萼が縁取られ、やはり真っ直ぐの線だけの紫の花が三輪。一見小さな針のように尖っていて実は触れると揺らぐあの花。