6月30日(月)
斉藤晴彦さん亡くなる。27日。親しくはなかったけれど幾度も会ってきた。最後に観たステージは悠治さんとの『冬の旅』。好きだったのはピランデルロ『作者を探す六人の登場人物』と『肝っ玉母さん』の演技だった。
6月29日(日)
青空がひろがっているし、予報通りになるにしても降る前に、と思って近所のスーパーに出かけ、突然の激しい雷雨と豪雨に足をすくませた。道が、あっという間に川となっていく。安い傘を買って、とぼとぼと家に。
6月28日(土)
虹の文化や科学について総括的に日本語で書かれた本は最近まで、元徳島県立高校の先生だった西條敏美さんの一冊だけだったとか。翻訳塾の人たちが幅広い英語力を生かして、ひとつのテーマを追っていくと、いいなあ。
6月27日(金)
東日本大震災のとき、東松島市の小学校で体育館まで水が押し寄せてきたときに児童に実践させて助かった自己救助法「UITEMATE」という日本語がベトナムやタイに広まっているという。戦争など輸出せず、これこそ。
6月26日(木)
今週の小話はイギリスで知られているらしいジョークをアレンジした。珍しいことに面白かったと言ってくれた人がいて、これで少なくとも三人はヴァシュリの読者がいることが分かった。新しいコラムの出現を乞うご期待。
6月25日(水)
池澤夏樹個人編集・日本文学全集が気になる。ご本人訳の『古事記』、江國香織訳『更級日記』や中島京子訳『堤中納言物語』、そしてソロ作品集として吉田健一、中上健次、石牟礼道子、須賀敦子と選びぬかれたラインアップ。
6月24日(火)
ゴミ捨てに出たら、近所のご夫婦が帰ってきたところで、ご主人が運んでくれるという。遠慮したら、奥様が、じゃあ傘をさしかけていてあげる、いま、険悪になりかけていたから後から帰りたいの、と小声で言って。
6月23日(月)
マヤ・アンジェルウとか安西水丸さんとか、まるで知り合いのように親しんできた人たちが次々と逝く。水丸さんは村上朝日堂でも平松洋子つながりでも、単にいい人ではなくいい人であるところが本当に好きだった。
6月22日(日)
鬱々と過ごした一日、なぜか。Eテレでヤニック・ネゼ・セガンという若い指揮者のマーラー『巨人』を元気のいいフィラデルフィア管弦楽団で聴き、少し気が晴れる。こういう演奏の一番は初めて。会場は空席が多い。
6月21日(土)
青森のある女の人の話をTVでみた。90歳に近く、働き詰めの人生だったが、皆に喜ばれるので山から笹を取ってきては笹餅を作る。岩手の被災者に届けたいと徹夜で百個仕上げることも。心に沁みる美しい人だった。
6月20日(金)
2020・東京オリンピック会場のひとつとして葛西臨海公園が予定されていたのが助かりそう。カヌー競技場になるとのことで反対の声をあげてきた。あの鳥たち、あの魚たち、あの草たちの住処を壊していいはずがない。
6月19日(木)
年をとるにしたがって美しくなくなるのは膝と膝の後ろ。顔や手よりも年齢がでる。赤ちゃんの膝の愛くるしいことと言ったら! 子どもからティーンエージャーになって、膝はきりっとしまる。大人は膝を磨きましょう。
6月18日(水)
涼しそうですね、とバス停で腕時計を褒められた。腕輪に当たるところが透明のイッセイデザイン。こんな風に話が始まることは多く、もう一人、別の人も、ほんと、素敵なネックレス、と話がちぐはぐになって面白かった。
6月17日(火)
持っている本を処分している一方でやっぱり単行本で持つと嬉しい本に出会ってしまう。Mが仕入れた小川洋子の三冊も。『ミーナの行進』は特別好きな作品なので胸躍り、マッチ箱の絵がたくさんあるのも文庫とは違う。
6月16日(月)
中国の月刊誌『知日』はテーマごとの特集を組み、昨年末の「漫画」のときは50万部を完売したと朝日の日曜版が伝えている。「森ガール」「猫」など切り口が新しく、それを読む中国の人たちがいることが嬉しい。
6月15日(日)
日本は初戦で負けた、コートジボワールに。これできっとドログバは内戦をやめようと、いっそう声を高くあげることができる。一度でも勝てば。もちろん強いのだから勝ち続けることもある。 日本は1点取れてよかった。
6月14日(土)
つい数日前、M・マーガレットさんから Do the Right Thingの中のOssie Davis と Ruby Deeの夫婦が好きというメールをもらって、見直そうと考えていたら Ruby Deeの訃報を今朝の新聞で知る。ひとつの時代を現した人。
6月13日(金)
午後から雷雨という予報だったのに、ずっと青空だった。でも渋谷では一時大雨で府中ではヒョウが降ったのだから、パッチワーク模様の空が東京を覆っているに違いない。クリニックで血流をよくするようにいわれる。
6月12日(木)
雨と雨のあいだに緑に包まれる径に立ち、ああ、おいしいお茶を飲みたいと思う。湿った空気の、そのただなかでお茶を飲みたい。突然そこにカフェが現れるとか、誰かがカップを差し出して、ほら、と言ってくれるとか。
6月11日(水)
雨。ニューヨークの Books of Wonder を久しぶりに訪れる。ネットでそれができる凄い時代。とにかく東京もニューヨークも書店がなくなる話が多い中で変わらずそこにあることが嬉しい、緑の旗と扉の子どもの本屋。
6月10日(火)
大人になるのはつまらない。幼いとき、若いとき、憧れや好奇心いっぱいで触れていたものが味気なくなるのだ。オペラの『蝶々さん』『椿姫』はいまは嫌い。シェークスピアの『ベニスの商人』『オセロ』は許せない。
6月9日(月)
もうすぐワールドカップというのが始まるので、大変な騒ぎ。日本の最初の相手がコートジボワールで、テレビでそれこそ国をあげて熱くなっている様子を伝えていた。日本は勝たなくてもいいのでは、と思ってしまう・・・
6月8日(日)
翻訳することで何を望むかといえば、文字を読むだけでは素通りしてしまいそうなものを確実に自分自身に取り入れること。外国の言葉を日本語に置き換えるとき、ひとつひとつが宝石のように新たな輝きを持つのだから。
6月7日(土)
大雨で京急のダイヤが乱れ、特快がなくて授業開始ぎりぎりに横浜に着く。疲れて夕方2時間、ベッドに入ってぐっすり眠った。乗り物の中以外、昼寝とか居眠りとかしないので新鮮な体験。やみつきになる、きっと。
6月6日(金)
全仏オープンでジョコビッチがグルビスとの準決勝を制したけれど、途中でラケットをコートに叩きつけてぐしゃりと壊すシーンがあった。熱波の中、集中力を保つためだったと思う。これからナダルとマレーの準決勝。
6月5日(木)
関東甲信越地方が今日、梅雨入り。菖蒲や紫陽花が艶やかに咲いているところを見たい。明月院を朝早く訪れたのは何年前のことだったか。堀切菖蒲園はいまが見頃だそうで、思い描くだけでも爽やかさでみたされる。
6月4日(水)
Wさんの大学院卒業の祝杯をあげる話にも、翻訳塾の人たちとの遊びの話にも、森林浴に五日市へという誘いにも、乗れない。毎週のことだけでも時間が足りず、後回しにしていることが多すぎ。歩くのも不自由だし。
6月3日(火)
英語で書かれたこよなく美しい「短編」を探すけれど、なかなか見つからない。完成度が高く心に残る作品は、たいてい人の世に、あるいは人間の性にある哀しさや寂しさを秘めている。今日も十数本読んで、つかれる。
6月2日(月)
二人の子どもが40歳前後だが薄給で結婚できないと、親が声欄に書いていた。胸が痛い話だけれど、あらゆる家電が揃っていて当然のような生活が基本になってはいないだろうか。貧しいのが自然であってもいいはず。
6月1日(日) ・・・燃えさかる/この小さな胸のなかの火の手//水の上に坐って/静かに冷やしたくて/海へ来たのか//わかめのように新鮮な哀しみ/波涛で洗い洗いしながら生きたくて/海へ来たのか(李海仁 イヘイン『海鳥』から・茨木のり子訳)