2024年1月

1月31日(水)
1月中に5人もの訃報に接した。どのひととも数十年会っていないけれど、寂しさは変わらない。磯部さん、佐波さん、東さん・・ほんの少し後に残った私は一人ひとりについての美しい思い出をリボンで結んであげよう。


1月30日(火)
睡眠のパターンが崩れると不調になる。テレビは寝室でしかみないので、ふと夜中に見始めて朝方になったりすると危険。数日前はどこかにギリと入る名のひとのバッハ『無伴奏チェロ組曲』につられて眠らなかった・・・


1月29日(月)
野島秀勝先生の著書何冊かを私は読んだことがあるのかどうか。読んではいても、ごく浅かったことは間違いない。イェイツとモード・ゴンを焼かんばかりの炎の揺らめきなど今にしてやっと静かに読みおさめられる。


1月28日(日)
栃ノ心が引退して、すっかり興味の失せた大相撲だったけれど、琴ノ若と大の里の頑張りが光っているので、このふたりと翔猿だけはみる気になった。千秋楽は琴ノ若が横綱照ノ富士に負けてお終い。碧山の休場が心配。


1月27日(土)
東劇のメトライブで『マルコムX』をみる。上映4時間という長さを感じないMET初演の臨場感に浸る。アフロ・フューチャリズムという言葉とシンボリックな宇宙船との結び付きが興味深く、ジャズを取り入れた音楽も。


1月26日(金)
昨夜は姉二人と電話。チャアチャンは肺炎症状で救急車の世話になり今はシニアハウスで安静にしているという。声は元気だった。ヤッチャンは弟が来てくれてありがたいと言うが、何のために生きているのかしらとも。


1月25日(木)
いま夕方6時過ぎで新宿から都営地下鉄の優先席にいて他の5席は元気人達。エレベーターの前で車椅子のひとが私と同じ途中階から乗れないでいたので、一旦下に降りてそのまま上へ行ったら、と勧めたけれど遠慮された。


1月24日(水)
夕方4時の外の空気はキリキリと冷たく突き刺さってきた。大きな水色のストールで肩から顎まですっぽり包み込む。明日は手袋を忘れないようにしよう。帰ってすぐ、マグカップに熱い甘酒をいれる。ほっと一息つく。


1月23日(火)
1年前に、あなたは別世界のひとと言われてショックだった知乃さんに手紙を出した。美しい田野に囲まれて童話の中にいるような家に住み、草花を摘んで作ってくれたポプリが10年で香りをなくした、とお願いを書く。


1月22日(月)
昨日は午後真ん中まで小雨に閉ざされ、全く初めて、左脚にハムストリングの痛みというのを知り、終日ソファで過ごした。動かなければ痛くなく、授業に充分と思えるところまでスタインベックの訳と解説を仕上げる。


1月21日(日)
毎日、2、3時間は本を読んでいる。「本棚から1冊」を始めてからは好きな本の頁をざっと繰り、安野光雅のゴッホについてのように好きな箇所を読み直すのですぐに時間が経つ。新たな作品を読むことが少ないのが残念。


1月20日(土)
朝、出かける時に忘れ物チェックをしてくれるロボットがいないかな。今朝はバスに乗る時にパスがなかった。ポケット からレシートと一緒に出してテーブルの上に置いてきてしまったので、交通費が1680円かかった。


1月19日(金)
共産党に初の女性党首として田村智子委員長が誕生する。党の名前も爽やかにすれば? 数日前の日経の「翻訳ディスプレー」全面広告の中で正式名称は、と紹介しつつ Display を Dispay とミスっていた。粗探しする私。


1月18日(木)
笠井叡の『魔笛』ー権威より愛ーモーツァルトの魂を踊る。吉田純子編集委員の記事が3枚のカラー写真と共に夕刊の2頁上2段を大きく占めた。「人間として在ることの喜びと愚かさ・・」あの時の時空間は体に残っている。


1月17日(水)
マルエツで買ったブロッコリーが重くて、ゆっくり歩いた。後ろから小学3年生位の男の子が追い抜き、こんにちは、と言った。こんにちは、と言うと数歩先でまた軽く頭を下げて走って行った。同じ階段の子だ。いい子!


1月16日(火)
この2年ほど滅多にTVを見なくなった。でも今朝のようにクラシック倶楽部に聴きたい演奏家が出るときは別。5時から藤田真央のモーツアルトに浸る。その後は一日、今週分の翻訳の添削にかかる。ときどきピノを食べる。


1月15日(月)
遠い親戚から筑波銘菓「福来氷」がレターパックで届く。名前も姿も新年の印らしく清らかで爽やか。口に含むと寒天をまとめた薄い水飴がパリッと音を立てるが中は柔らか。刻んだふくれ蜜柑が散っていて良い香り。


1月14日(日)
神田紅純と神田松麻呂の講談を狛江駅前の「泉の森会館」で昼時間に。駅のすぐ前に鬱蒼とした竹林がある街。ウロウロしていると公子さんが外に出てきて見つけてくれた。楽しかった、二ツ目応援の「いわと寄席」。


1月13日(土)
晴れた冬空は深い。ガラス窓の内側にいて少し眩しく思いながら身体は心地よく椅子にまかせているけれど、能登の人達はそうはいかない。学校の体育館に敷いた布団かマットに横になり、トイレすら我慢して10日以上。


1月12日(金)
ぼーっとしているうちに午前中が過ぎた。まさに私の理想。こういう時間こそ人生だと思う。なーんてね、要するに怠け者なのだ。目的とか結果とかキリキリ意識するのが苦手で、数日前のように「大切な日常」に怒る。


1月11日(木)
新宿を出る時に真っ赤な夕焼け。地下鉄に潜るのが残念だった。でもここに書けないけれど、今日は大失敗をしていて、穴があったら潜りたかったのだ。どうか二つのクラスの人たちに迷惑がかかっていませんように。


1月10日(水)
明日の2クラスで翻訳塾が全部始まる。毎週クラスはジョン・スタインベックの随筆、隔週クラスはロバート・フルガムの卒業祝辞。いずれもやや難解だけれど、よく語句を引用される2作品なので読んでおいてほしくて。


1月9日(火)
「日々 を大切に生きましょう」なんていう言葉は何も考えないのと同じ。どうでもいい時や自分のことしか眼中にない時に私もうっかり言いそうだ。「日常がいかに大切か気が付いた」という言葉も空っぽでつまらない。


1月8日(月・休)
横浜のKAATへ美礼と。笠井叡さんの振付・演出・構成・ザラストロとしての出演によるモーツァルト歌劇『魔笛』。森山未來ほか5人のダンスになんと久子さんの映像も加わって、とにかく面白かった!やっぱり饒舌だった!


1月7日(日)
能登半島は全域で雨か雪が降り、平均気温は1度。寒い! 家にいても停電や断水ではどんなに辛いことか。ましてや家が倒壊して避難所では・・。外国の救援を政府が断っているのは受け入れる状況にないということだろうか


1月6日(土)
横浜で翻訳塾スタート。今朝の声欄は笑いの神様がテーマで、パンダの自由な振舞いを素敵に思うことに共感。でも「静かに笑って、疲れた心や行き場のない気持ちを支えられる」って少し寂しい。介護支援専門員の方。


1月5日(金)
七尾市での「モントレー・ジャズ・フェスティバル・イン・能登」。一度、行きたかったけれど果たせなかった。再開はいつになる? 原発候補地だった珠洲市も被害は大きい。住民の反対で実現しなかったことが幸い。


1月4日(木)
新年紙面の多和田葉子や帚木蓬生へのインタビューが、この数年考えてきたことをまとめてくれた。でも元旦の能登地震の被害の大きさに心ふさぐ。輪島や珠洲で死者が多い。家全壊の情報も増えていくにちがいない。


1月3日(水)
吉村ひまりのバイオリンが凄い、と教えられてYouTubeで聴く。12歳。カーティス音楽院に迎えられ既にN響とも共演する。やはり天才少女と名高い村田夏帆も弾く「カルメン幻想曲」を聴き比べた。その才能を大切にね、と思う。


1月2日(火)
昨日は吉祥寺で、今日は奥沢で、私は何もせず、ただ美味しい正餐にあずかる二日間。元旦の午後4時過ぎ能登半島で震度7の地震があり、吉祥寺ですら壁にかけた絵が大きく揺れた。今日は日本海側全域に津波警報あり。


1月1日(月)
『オーラ・リー』「泉のなかに 誰がいるの/耳をすませば 声がする/オーラリー オーラリー どこですか/水の精たち すがた見せて」(アメリカ歌謡曲 阪田寛夫 詩/Tさん 歌)「Love me tender, love me true/All my dreams fulfill/For, my darling I love you/And I always will」(アメリカ歌謡曲 “Aura Lee”/エルヴィス・プレスリー 歌)