2024年2月

2月29日(木)
ジェンダー差別をするのは男性だけではない。母親は息子贔屓が多く、結婚した息子が食器を洗うのを見て嘆く。生活の厄介さも豊かさも男女が共にする楽しさが基本になるといい。男が狩して獲物を捌く時代ではない。


2月28日(水)
朝5時から大谷翔平のホームランをTVでみる。ドジャース移籍初のオープン戦の初戦で早速の素敵な話題。でもまだ5回裏なのに、水筒持ってダッシュで帰るのが少年のようって、意味が分からない。私の野球知識はその程度。


2月27日(火)
朴京美さんも出演する伽倻琴演奏を聴きたくて四谷の韓国文化院へ。池成子先生の歌と演奏もたっぷりと胸の奥まで響かせてもらった。エレガントでいて力強く生命を輝かせる韓国のソリを直に聴くのは何年ぶりかしら。


2月26日(月)
伊藤信吉編/昭和44年発行の新潮文庫『現代名詩選』3巻には島崎藤村以降76人の日本の詩人の作が収められ、今もふと手に取る。でもそのうち女性はたった一人、与謝野晶子だけ。わが感性の温床にまで寂しさはひろがる。


2月25日(日)
特に地方の国立大学は相変わらずの予算不足と知り何という国かと思う。高知大学学長が研究費予算はないに等しく1回学会に行くだけと語る。今朝の歌壇からー「海埋める裏金ためる兵器売る素敵な国の主権者ぞ我(朝霞市 岩部)」。


2月24日(土)
『徹子の部屋』が来年50周年で特別番組がもう組まれている。でも林のり子さんの『パテ屋』も山梨幹子さんの『ヤマナシヘムスロイド』も50周年で、組織の支えなどなく個人で築き上げたものをもっともっと評価したい。


2月23日(金)
雪の予報のもと空が薄灰色に閉ざされ、私の気持ちも幾つかの不安で沈みがち。一つは久子さんの容態が良くないのではないかと心配だ。杞憂に終わりますように。手術を間近に控えるひともいて、晴天が訪れますように。


2月22日(木)
コロナ禍にあって4年。今もまだ感染者はいるしインフルエンザも流行り要注意だけれど、ようやくクラスの人たちと授業の後にお茶を、という状況になった。あとどれだけ続けられるか分からない翻訳塾。大切にしたい。


2月21日(水)
曇りと雨の日が続く。『女たちの同時代』7巻で堀場清子さんが、「家事を覚えたいから手伝うわ」と言って黒人の女性たちと話す機会をつくったと書いている。彼女はそこから黒人が米・南部に抱く愛郷心を探り当てた。


2月20日(火)
昨日の続き。あの7巻の編者・藤本和子の偉業はもっと讃えられ、記録と記憶に刻まれるべきもの。「同時代」の北米黒人女性たちの世界観、自尊心、生命力をこれだけ深く洞察し共感し日本語で紹介したものは他に類がない。


2月19日(月)
『女たちの同時代 北米黒人女性作家選』7冊には改めて、その編集企画、作者・作品選択、翻訳と巻末エッセイの質の高さに心打たれる。40年前、すぐ絶版にしてしまった朝日新聞社、評価しきれなかった出版界は浅過ぎた。


2月18日(日)
狛江・泉の森会館で寄席。落語の二人で、若さが弾ける午後だった。いつも爽やかな熱を込めた語り口を聞かせてくれる古今亭佑輔と1週間しかない昭和64年に生まれた三遊亭兼太郎。客14人でも温かさに満ちた会場だった。


2月17日(土)
小さい本の上に大きな本を乗せて積み重なっていくとやがて雪崩が生じる。当たり前のことが私の部屋で繰り返されている。もう少し頑張らなくては。外では冷たい空気をものともせずサザンカの花が凛として華やかに。


2月16日(金)
今日の予定は歯医者に行くことだけのはずだった。それなのに、なぜか朝のうちに家を出て、勝どきの部屋で少し雑事をしていただけで夕方帰ってくることになってしまった。明日の講座分の添削は間に合うのかどうか。


2月15日(木)
新宿住友ビルの広場で、大阪文化服装学院が着物地のアップサイクルによるファッション展示をしていた。帯締め1本でも手を加えない方が美しいものを、どう西洋風のスタイルに取り込むか、若い感覚が興味深かった。


2月14日(水)
京急の四人掛けを私と占めた斜め前の男性のお洒落ーー白いタートルネックのセーターに少し着古した白い厚手のカーディガン、濃紺と紺の総模様の細身のパンツに全面パンチメッシュの白いスニーカー。70代かな。


2月13日(火)
課題にする短編を探して昨日から10本近く読んでいる。3000ワーズ以内の訳したい話はこの20年で使ってしまった気がする。ということはないはずなのに見つからない。辛い、苦しい、寂しい話ならいろいろあるけれど。


2月12日(月・休)
最近は見ていないTVだけれど今夜は7時から9時まで、同じ時間にあった二つの番組を交互にみた。「欽ちゃん&慎吾の第99回全日本仮装大賞」と「ザ・ドリフターズ結成60周年!ベストコント60」。新しさのある懐かしさ。


2月11日(日)
メールでのやり取りに慣れすぎて手紙を書かなくなっている。絶えず、書きたい、返事したい、と頭の中で言葉になっている手紙が数通あるのに、この頃、ペンを持つのは週に30人近くの訳の添削で息切れしてしまう。


2月10日(土)
小澤征爾さん逝去。享年88歳。ちょうど吉田秀和の昔の音楽評論を読み直していて、北京での第九の指揮に同行した件は今の中国とも繋がっていると感じていたところだった。スクーターで欧州入りしたヒーローだった。


2月9日(金)
紙がすっかり黄ばんだ本は処分しようと思いつつ、ぱらっと眺めるそれぞれの日本語に愛おしさを覚える。旧仮名の優しさに包まれたくもなるし、OLどころかBGと呼ばれていた女性先輩達の苦闘の記録も閉じられない。


2月8日(木)
新宿2クラスを終えたあと、バス停でおなかがすいたと思い、バッグの中に日曜日に東京駅のグランクラス待合室で貰ったクッキーが2枚あるのを思い出した。マスクの下でそっと噛むとバター風味が美味しく、旅の名残に。


2月7日(水)
月、火と関東地方も雪空に覆われた。今日は青空が戻り爽やかな冬晴れだったものの横浜への行き帰り、なんとも眠い。やっぱり疲れたのかなと思う。回復剤をアップルパイにするか握り寿司にするか迷う。答え=両方。


2月6日(火)
文春オンラインで岡部敬史インタビューを読む。昭文社の地図専門家二人が能登地震について紙の地図の重要性から始まり、阪神・淡路大震災時の経験も踏まえて詳細に語る。初めて知ることも多く新しい地図を買おう。


2月5日(月)
印刷物と原作とでは、放つ光がどれほど違うか、アートの突き刺すオーラで示してくれたのが奈良美智だった。朝に家を出て青森まで行き夜には帰っていることを可能にした新幹線のスピードが身体の記憶となっている。


2月4日(日)
青森県立美術館の白い建物は、天から幕が降りるように下へ下へと動く白い雪に包まれていた。奈良美智の『ここから The Beginning Place』は天と地の境をなくすピュアな世界。たくさんの好きな作品を日帰りで美礼と。


2月3日(土)
明日、青森まで行くことになり緊張している。いつも早起きなのに明日は起きられないのではないかと心配。コロナのせいもあり、この5年ほど遠くに出かけなかったら思わぬ不安症になっていた。美礼が一緒でよかった。


2月2日(金)
如月ー月の和名としてはいちばん綺麗。衣を更に重ねて着るという言葉に中国で使われていた漢字を当てた、というのが説明としては納得できそうだ。今日は白菜と葱と椎茸をたっぷりと食べた。刻んだ柚子を散らして。


2月1日(木)
課題の文中で it is written が「宿命/運命である」という意味だと忘れるひとが多いとわかって残念。小説や台詞で使われた時は大仰だったりして、ちょっと面白い雰囲気になるのだ。どうしたら忘れられないか考えよう。