第十二話  振舞い大助

「なんとかならんか」大助は女房のときに言った。

いつものように、ときは困った顔をした。それもわかっていたが、ほかに当てにできる者はいない。困った顔をしても、なんとかやりくりして都合をつけてくれたのだ、この二十年間。

よく付いてきてくれた、かならずやそれに報いようと思う。報いるためには昇進しかないではないか。そして昇進してきた──

大助は、なんの取り柄もない男だった。

頭が切れるでもなく、武芸に秀でるでもなく、要領がよいわけでもない。そうした者は代わりに気が強かったり意志が強かったり、あるいは温厚な人柄で、だれにでも好かれる、というふうに、なにかしら補っているものだが、そういったこともない。その自覚は、大助自身、前髪を斬るころからあった。

おまけに与力の家の三男では婿入りするか、商人にでもなるしかなかった。

 

そして運よく十九歳で、中川船番所の下役人に抱えられた。

その際、父親が土産物を持参して、関係のある家へ「御礼言上」の挨拶回りをしてくれた。直接の上士となる小頭二人、その上の添士二人、さらに上の番頭二人。そのまた上の中川番四人。

土産物は、日本橋室町通りの有名な菓子舗で求め、供二人に持たせ、二、三日かけて回った。

中川番などは三千石から八千石の大身だし、大助のことも覚えているどころか、用人が出てきて「申し伝えまする」と言うだけであった。

しかし大助は、これを見習おうと決意した。

父親は与力という町奉行配下の仕事がら、付け届けの多い役職であった。大名家にいたるまで、江戸詰めの田舎侍がなにか粗相をしたときなど穏便なはからいをしてもらうため、身分の上下にかかわらず手土産持参の挨拶があった。幼いころからそんな光景を見慣れてきたせいもある。

盆暮れの手土産付きの挨拶回りのほかにも、同僚の下役人や小頭に、なにかにつけて酒席をもうけて振舞いをした。

周りの者たちも、かげでは“振舞い大助”とさげすみ、あざけりながら、振る舞われるのは、だれしも悪い気はしなかったらしい。大助には奢らせるだけ奢らせるのが、当たり前になっていた。

おかげでこの二十年間、時間はかかったものの順調に昇進してきた。一代かぎりの下役人から小頭へ、小頭から添士へ、そしてこのたび番頭となったのである。

家計は火の車であったが、ときの実家が裕福な商家で、なにかしら都合をつけてくれた。

跡継ぎを残して二人の息子たちは、上の身分の家の養子にした。そのたびに大助は大盤振舞いをした。十五になる娘が残っていたが、とびきりの良家に嫁がせるべく、伝を求めていまも振る舞いにいそしんでいた。

  今回、番頭になることで、周りも大助に返礼をしなければと思ったらしい。めずらしく祝いの席を設けたいと言ってきたのである。それも遊女つきで。

大助としては、ただで振舞いを受けるわけにはいかない。返礼になにか特別な品を贈りたい。日本橋は室町通りの老舗で漆塗りの文庫などはどうだろう。今までのように筆のひと揃いというわけにはいかない。せめて上等の硯とか──

そして女房のときに、あらためて頼みこんでいたのである。

「でも、おまえさま。もうこの家には、なにもございません」

たしかに、大助が頼むたびに嫁入り時に持ってきた上等な小袖や帯のほとんどが箪笥から消えていき、その箪笥さえなくなっていた。家のなかはがらんどうであった。畳も襖も来たときのまま古びている。

「その、もう一度だけ、深川の実家に頼んでくれまいか」

「まあ、おまえさま」ときが驚いて目を見張った。「深川は、もう……」

そう言えば、後継ぎの義弟が昨年亡くなり、店はたたんでしまっていた。

わしとしたことが、そんな大事なことも忘れていたとは。

「ああ、そうだった。申しわけない。気の毒なことだった。しかし、困ったな。なんとかならんかなあ」

「もうほんとに、食べるものもございませぬ。前借りばかりで、明日からでもお塩をなめ、水を飲んでいくしかないほどでございます」

大助が出世するにつれ、生計は苦しくなるいっぽうだった。 

最低の供ぞろいだけを残して小女も雇えなかったので、ときの手は荒れ、髪もいつ結ったのか脂気もなく、ほつれっぱなしである。一緒になったときは相当な美人だと思ったが、なんという変わりはてた姿だろう。大助は胸がつまった。

「そうだろうともよ。おまえの苦労はわかっておる。これが最後だ。とにかく番頭になったのだから、もうこれより上はないからの。なんとかおまえの才覚で工面してくれまいか。もう、もう……苦労はかけぬ」

ときは申しわけなさそうに、ただうつむいていた。

 しかし翌日、大助が中川番所の勤めを終えて帰宅すると、ときは大枚を差しだした。 

「これで、なんとかしてくださりませ」

「おお、これはありがたい。申しわけないのう。さすがにわが女房どのだ」大助は驚喜した。

翌日から大助は時間が空くと、さっそく日本橋の室町通りへ行き、なににしようか迷った。みんなで振る舞ってくれるというのだから、相応の物にしないと──しかし、ときの苦労を思えば少しでも残してやらにゃなるまい──いや、みんなに粗末な物だと思われても。

番所近くの拝領長屋から室町通りに出るまで、ゆうに一刻はかかる。帰りは遅くなった。あるとき帰宅すると、家の中が妙に淋しく、しいんとしているのに気づいた。

長屋といっても添士になったときに拝領し、二百坪の敷地に庭も門構えもあり、建坪は百坪近くあった。なにやらがらんとしているのは、家具がないからだ、と大助は思った。

今後はきっと振舞いを受ける身分だ、女房孝行をしようと心に誓った。

 返礼の品も決まり、仰せが出てから十日後、富岡八幡宮近くの料亭に、十人ほどが大助の昇進祝いに集まった。

 いままでは振る舞うばかりだったが、こんなにしてくれるのかと大助は涙にくれる思いがした。

 宴がはじまると、遊女たちがにぎやかに、はなやかに入ってきた。

「このたびの新入り、生娘ですよ」

年かさの遊女に言われ、となりの年若い遊女に目をやりながら、

「おう、生娘だと、どの客にもそう言うのであろう、ははは」

上機嫌で言った大助は、手にした杯をぽとりと落とし、茫然となった。

 新入りは、自分の娘。ときの工面というのは娘を売った金だった。