連載 その⑦

こちらのほうでよろしかったでしょうか?

 デパートへお歳暮の買い物に行った。あらかじめ決めておいたので、買い物は手早く済ませることができた。ただ店員さんが品物を用意して「こちらのほうでよろしかったでしょうか?」と訊いたとき、わたしは心の中で<初めからこれと決めていたのに>とつぶやき、「ええ、こちらでお願いします」と言った。

 <こちらのほう>という表現は、二つ以上の候補があり、その中から選んだものに使ってほしいのである。<こちらのほうがいい>という表現は、<あちら>や<そちら>があるときに使ってほしいのだ。その中から、とくにそれを選んで<こちらのほう>と言うのならわかる。こんどのわたしのように、初めからこれと決めていて、二つの品物の間で迷ったりしなかった場合には、比較するものがないのだから<ほう>という言葉をつけるのはおかしいと思う。

 <ほう>という言葉をつけると柔らかい物言いになるという認識があるのかもしれない。本来は方向を示す言葉だ。<右へ曲がる>を<右のほうへ曲がる>、<上へ行く>を<上のほうへ行く>と、漠然と方向を示すときに使う。店員さんが品物に関して<こちらのほう>と言うのは、やはり漠然とした方向を示しているのだろうか。はっきりと<これ>を買ったつもりでいるわたしには、なんだか頼りない表現である。でも<ほう>をつける話しかたはいまやすっかり一般的になっていて、もう後戻りできないかもしれない。

 もう一つ、これに続く<よろしかったでしょうか?>という言いかた。もうほとんど嫁の口のききかたを叱るお姑さんのようになってしまうが、この言いかたもいまや、ものを買うとき、喫茶店、レストランで店員さんがこちらの注文を繰り返すときによく聞く言葉だ。<よろしいでしょうか?>ではなく<よろしかったでしょうか?>と過去形で言うことにはどのような意味があるのだろうか? 注文を受けたのが、繰り返す時点ですでに過去になっているから、自分が聞いた注文は正しかったかを訊くために、<何々とおっしゃいましたか?>というかわりに<何々でよろしかったでしょうか?>と言うのだろうか? まさか、ね。

 もしかすると、たんにていねいそうに聞こえるからと、だれかが始めたのが流行っただけのことかもしれない。でもわたしはいつも違和感を覚える。言葉をそのまま受けて<ええ、よろしかったです>と過去形で答えたら、どうなるのだろう。<でも、そのときはよろしかったけど、いまは変えたい>という言葉が続きそうではないか。

 言葉は四角四面におさめることができないものとじゅうぶんに承知しているけど、わたしの<なんだか変アンテナ>に触る言葉はまだまだいっぱいある。来年もどうぞよろしく!

(2013年12月14日)