連載 その②

「とは思います」

 またテレビに向かって、ちがうでしょ! と言ってしまった。ボストンマラソンに爆発物が投げ込まれたあと、参加者の日本人ランナーの一人が感想を訊かれて答えた言葉遣いに、である。「とても楽しみにしていたので、こんなことが起きて大変残念とは思います」。そう、残念とは思いますの「とは」の部分だ。これは本来なら、つぎに続く文章があるはずで、それは「でも、残念だとは思うけど、何々の理由でしかたがない」と、起きたことを認める気持ちがあるときに言う言葉。つまり、逆の気持ちがあるときに遣う言葉なのだ。でもこの参加者男性は、こんなことが起きて当然と言うつもりなど毛頭なかったはず。ここは「大変残念と思います」と言ってほしかった。

 もう一つスポーツニュースから。百メートルを十秒を切りそうな勢いで走った高校生ランナーのことをコメンテーターが「素晴らしいとは思います。もしかして日本人初の九秒台ランナーが誕生するかも」と言った。これもおかしいとわたしは思う。「素晴らしいとは思います」と言ってしまうと、素晴らしいとは思うけれども、それほど大騒ぎすることではないというニュアンスを載せてしまい、つぎの「日本人初の…」という期待感に満ちた言葉とは矛盾したものになってしまうからだ。

 「と思います」と言うべきところを「とは思います」と言う人が多くなっている。「とは思う」と言ってしまったら、けれども、と逆説の言葉が続くはずなのだが、この言葉を言う人たちにはそんなつもりは毛頭ない。「とは思います」で文章を完結させているのだ。「は」を入れることによって表現を和らげているつもりなのだろうか。あるいは、もはやそれさえ意識されていないのかもしれない。

 一度気になると、あらゆるところでこの「とは思う」が遣われていることに気がつく。これもまたはっきり言い切らない表現を好む世相を表す言葉遣いなのだろうか。でも本来とちがう言葉遣いをしたらまちがった意味になってしまうよ。いや、そもそも本来の遣いかたとはなんぞや? その遣いかたが時代の趨勢になってしまったら、もはやまちがいではないのか? 微妙なところである。ああ、言葉は生き物!