翻訳断章1

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「歩道にそって」歩いたら車道を歩くことになり車に轢かれる。I can remember walking along the pavement beside her (レイモンド・ブリッグス)の walk along は日本語では「歩道を」歩く。go down とか go up は、山や坂にでもいない限り、ごく普通に真っ直ぐ先に進むことで、下がったり上がったりしない。


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AとBを並べる時、A and B となり、AとBとC を並べる時はA, B, and C となると知っていても、つまりこれは文法上の約束事だと知っていても、「A、B、そしてC」と and に意味を含ませて訳すのは重い。「AとB、C」のように自然な日本語にしたい。A, B, and other C は、「A、B、C など」が一番ぴったりする場合が多い。


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人の訳を真似するくらいなら下手だったり間違っている方がいい。近頃は著名な作家のエッセイは誰かが訳してサイトに載せていたりする。原文がよく分からなくて参考にし、これでいいのかと解釈を「学んで」しまい、見事にそこで間違ってしまう。難しい箇所は誰にとっても難しい。なんとか自分で収めること。その決断も翻訳。


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英文の中の人名の読み方は慎重に。ローマ字読みなどせず、英和大辞典には多くの固有名詞がカタカナ表記されているので引いてみる。Stephen は昔の日本語訳では、よくステフェンとなっている。著名人にも多い名前なので今はスティーブンと正しく読まれるようになった。もちろん歴史上や英語圏以外の地では別の読み方もあり。


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電子辞書が便利で、使わないことは考えられなくなった。最大の利点は圧倒的に情報量が多いこと。英和大辞典が二つは入っているし、和英、英英、現代国語、広辞苑などを次々と駆使できるため、訳語を決めるのに本当に助かる。欠陥は紙と違って書き込みができないこと。新たな訳や言い回しをどう記録するか自分で工夫したい。


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しばしば辞書にある訳語だけでは翻訳に間に合わない。たとえば best という単語は「最良」「最善」だけではなく、実際には「最高」という日本語がぴったりすることが多い。スポーツの場合は a best record で「最高記録」だし、the best life は「最高の人生」。(映画『最高の人生の見つけ方』の原題は The Bucket List 。)


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英語はまったくだめ、と思い込んでいる人は多い。でも英語の文章を見て、それがフランス語やロシア語ではなく英語だと分かり、さらに英和辞書の引き方を知っていたら、かなり英語が出来るということ。文字の形から覚え、辞書が引けるようになるまでに時間がかかる外国語が多い。せっかく手にした世界、楽しみたい。


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翻訳に慣れないと気が付きにくいのが時制。英文のメリハリとか流れは時制で付けられているとすら言える。つまり現在、過去、現在完了、過去完了、未来などなど。過去完了は仮定法の衣を纏うこともあるので要注意。長い文章の中で異なる時制がいくつか出てきた時は、これで構文がわかりやすい、やった!と思って解釈しよう。


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子どもの時に翻訳で読んだ、とても好きだった本が、元はどんな言葉で書かれていたのか知りたくなることがある。とくに子どもの本の場合、原書をかなり省略している場合が多い。だから原書をさらっと読むのでなく一字一句を追う、つまり自分で自分の感性に合った日本語にしてみると、沢山の新しい胸踊る発見があるはずだ。


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自分の好きなことのために翻訳を生かしたい。数十年前、日本で本や雑誌に載る料理のレシピといえば常に4人分。一方、英語では1人用の料理本が沢山あった。卵ベースだけでも50、60とレシピが並ぶ。「さいの目に切ったチーズを溶き卵に混ぜて火にかけ、スクランブルし、黒胡椒を効かせる」などとカードに書き込むのは楽しい。


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外国語で書かれたものを日本語にしたい。それが翻訳の第一歩。書いた人になって日本語で表したい。突然やってくる、そういう出会いの一つがエミリー・ディキンソンの Envelope Poems をオリジナルのまま写真に撮った本だった。使われた封筒の裏に書き付けられた短い言葉たち。静かにふわっと立ち上がる日本語を待ちたくなる。


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英文をかなり読みこなしている人でも、物や人の導入として「初出の this 」が不意に出てくると気づかないことがある。要するに不定冠詞の a の強調で、子どものためのお話にはお馴染みの表現だ。「 This big tiger appeared ・・・」=「一頭の大きなトラが現れて・・・」。「これ」や「この」だけではないことを忘れずに。


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翻訳では小さな言葉を正確に日本語にしたい。難しい単語は辞書を引けばいいし、厄介な長文は手に余ったら誰かに聞けばいい。でも小さな言葉は意識して自分のものにしておくこと。書物を表す言葉や書名の前に a copy of がきたら、それは原稿とかコピー(複写)の意味ではなくて、「一冊の」ということ。間違えられない言葉。


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あるエッセイに英国人でも読み方を迷うAlnwick という地名があった。アニックが正解で、アニック城は世界有数の美しい庭で知られる。またこの街の廃駅跡にたつ素敵な古書店バーター・ブックスの壁面には、作家たち30数人が実物大で描かれた巨大な絵がかかる。地名をカタカナでどう書くか調べる中で興味深い事実に次々と出会う。


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翻訳を楽しむ人の中には、言葉を訳すよりも調べる部分のワクワク感にはまっていると言う人も多い。文中に地名が出てくれば必ず地図で実際の位置を確認する。インターネットを駆使すれば世界中の町や村がどんな所か見当がつく。ときには簡単な歴史的背景を知ることで、その地の特色が掴めるし住む人の思いに触れることもある。


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翻訳は絶対に文字ですること。英語を頭の中で日本語に置きかえたり口で言ってみるだけでは訳したことにならない。例えば (a girl)from NY は「NYから来た(女の子)」か「NY 出身の」か文脈によって違う。それに a girl が子どもならば「NY 育ちの女の子」という表現も思いつきたい。文字にしてこそ、あれこれと試行錯誤できる。


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自分以外の人間になりたくない人には翻訳は合わない。原文の書き手の気持ちになってすることだから。ある時、自分はいつも「です、ます」で書くのに翻訳では語尾を「である」にすることが多く、乱暴な文章を書いているような気になり、やめますという人がいた。私には青天の霹靂。正々堂々と乱暴なことが書けるなんて素敵なのに。


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文章全体の流れが翻訳には大切でも、一字一句を大切にすることも基本。ショパンのエチュードを弾くのに音符が一つずれたら台無しになるように。それには自分の思い込みを直していくことが必要。昔、どこかで a few は「2、3」と習った人が多い。これは間違いで、「3、4」や「5、6」もある。だから in a few days は「数日中に」。


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翻訳は極上の「趣味」となる。16年間、英文翻訳塾を続けてきて、そう考えている。
もちろん、仕事や勉強としての翻訳あってのこと。でも一方で音楽を聴いたり、釣りをしたり、山に登ったり、絵を描いたりするように翻訳それ自体を楽しむことを追ってみたい。(ここでは英語から日本語への翻訳を基本とします。)