翻訳断章5

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英語といっても舞台はイギリスとアメリカだけではない。カナダやオーストラリアはもちろん、多くの国が英語を公用語とする。また他の外国語の英語訳もある。その英語を日本語にすることを重訳といい、重訳を好ましくないとする見方もあるが、アフリカやアジアやヨーロッパの国々の片鱗を知る大切な道筋でもある。無限に広がる世界に英語を通して深く迫りたい。


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相手への呼びかけを、その単語通りに訳すとおかしいことがある。映画『カサブランカ』(1946)には名文句が多く、「君の瞳に乾杯」もその一つ。”Here’s looking at you, kid!”  ハンフリー・ボガードがイングリッド・バーグマンに言うシーンを懐かしく思い出すのは古い人だけかもしれない。kid は通常、子供や若者をさすが、相手がエレガントな大人の女性でも使うのがわかる。恋人ならば。


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名詞で英語では1語なのに日本語では違う意味をもつ2語になる言葉のひとつに copyright がある。日本語のひとつは「著作権」、もうひとつは「版権」。一例として小説の場合、書いた作家が「著作権」をもち、出版社がそれを出版して売る「版権」を得る。つまり翻訳して出版するときは「版権」を得ていなくてはならない。(ただし法律上は語法が異なる。)


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小説の訳では老若男女あらゆる状況での英日両方の会話力が求められる。だから楽しい。会話で「あの」「ところで」「ほら」「ねえ」など人に呼びかけたり話題を変えたりするときに使われる言い方を幾つか上げてみる。
Look. Listen. Look here. There. Guess what. You know what. I tell you what.
 くれぐれも単語通りに訳さないこと。


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新聞に「武力をかざして」とあり、その表現がいいと思った。翻訳で「かざす」を使うとしたら、どういう英語の時かと和英を引くと物を高く掲げるという意味で「hold O up high」とある。内容としては「ひけらかす」に近いので、これを和英で見ると「show off」「make a display of」があり、Oが武力なら、こちらの方が近そうだ。こうして訳語の幅を広げていく。


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文章の解釈は読み手の経験や知識によって何通りにもなる。前後関係のない短い文章では一層、個々異なる。「For sale: baby shoes, never worn.」ヘミングウェイの6文字小説として有名で、靴を履けるまで育たなかった赤ちゃんを想って涙を誘う話だった。でも今は誕生祝いに靴を贈る風習もあり、それが重なって余ったのがネットに載せられたとも考えられる。あなたはどっち?


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英語のsisterとbrotherに当てる日本語訳はいつも悩みのタネ。日本語では姉か妹、兄か弟で表現するのに対して、英語では年齢が上か下かも示されないことが多い。前後関係からなんとか見つけ出すか、どうしても分からない時は自分で決めるしかない。全般的にまとめて言う時は「きょうだい」とする。昔は兄弟姉妹としていたが、これはもう使われない。


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翻訳で日本語がこなれていることを目指すのは間違いだと思う。どの国であっても言葉そのものが文化のひとつだ。「こなれた日本語」ほど自ずから昔からの日本人の考え方や感じ方を表すことになる。翻訳はあくまで日本語を通じて元の国の文化を伝えるのだから、正しく分かりやすい日本語を使うのは当然として、日本の文化を含め過ぎないようにしたい。


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翻訳の説明では「文脈に沿って」とよく言われる。文脈は元は文と文、あるいは文中の語と語のつながりを指し、全体の筋道とか背景を表すもの。一つの単語を訳す時、辞書に載っている日本語を当てはめればいいというものではなく、この「文脈」ではどういう言葉が落ち着くか考えなくてはならない。その言葉に辿りつくのに・・・時に何時間もかかる。がんばろう!


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カタカナで使い慣れていて、英語の中でもついその意味につられる単語は沢山ある。例えば a coat は「コート、外套」でいい場合もあるが、辞書で最初にあるのは「上着(ジャケット)」。要は文脈に合わないときは必ず辞書で確かめること。クリスマスにまつわる話でよく使われる単語は trimming で、部屋やツリーの「飾り付け」。ツリーの葉を刈ってしまわないように。