翻訳断章4

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英語の中にカタカナの日本語として知っている言葉が出てきても、「知ってる」と思いこまないこと。カナになった途端にそれは日本語そのもので、眼に浮かぶものもまったく別であることが多い。例えば boat を「ボート」とすると大抵違う。日本語ではオールで漕いでいるイメージになり、英語では大きな漁船を表していたりする。


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易しい単語ほど訳に注意。とくに形容詞は情景を定めるので、ぴったり合う言葉を探したい。例えば big。「大きい」が妥当か文脈の中で考える。a big wind は「強風」だし、a big arm は「太い腕」、a big woman は「偉い女性」などが考えられる。a big brother は「兄」のように、ほぼ one word になっているものもあるのでチェック。


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冠詞+名詞とあれば大抵は主語か目的語だが、接続詞にもなる。よくみるのが the moment で、as soon as と同じ。at the moment when を the moment だけで表すと考えてもいい。同じパターンが the year や the day や the month でも表される。”テネシーワルツ” の中の the night も同じ。Yes I lost my little darling the night they were playin’ the beautiful Tennessee waltz.


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語彙を増やすには日常的に多くの言葉に触れるようにするのは当然。ただ言語感覚は、むしろ決して使いそうにない言葉を目にすることで磨かれる。たとえば英語以外の外国語文学からの翻訳には新鮮な刺激を与えられる。リズム感を意識するうえでも詩をたくさん読みたい。短歌や俳句も言葉のセンスを豊かにしてくれる宝庫。


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翻訳は自分では使うことのない言葉を次々と駆使することであり、それが翻訳の楽しみの一面だし、辛苦のもとでもある。自分の語彙がもっと豊かだったら、と願わない翻訳者はいないと思う。辞書にある言葉だけでは表現するのに到底間に合わない。基本的には、日常的にできるだけ沢山の言葉と出会うこと。それにつきる。どこで?


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英文中に決まり文句らしい熟語が出てきたら、そのうちの一語を辞書で引き、成句を調べると意味にたどり着く。決まり文句には決まった訳がぴったり合うことが多い。おとぎ話の最初の決まり文句は “Once upon a time there was ・・・” で「昔むかしあるところに・・」だし、最後は “And they lived happily ever after.” (「二人はその後ずっと幸せに暮らしました」とか「めでたしめでたし」。)


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名詞で慣れている単語が動詞で使われる時、文脈に合った日本語にするにはセンスがいる。たとえば fashion (流行、服装)という単語。ディズニー映画『白雪姫』で、白雪姫が毒林檎を食べて目覚めなかった時、7人の小人たちは “fashioned a coffin of glass and gold.”  またある絵本にあった次の文。”He fashioned the leather harnesses for the oxen, each one different and perfectly fitted.” いずれも心を込めて作ったことを表している。


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1960年代に海外美術展が日本で頻繁に開かれるようになりキュレイター(curator)という言葉も入ってきた。初めは「学芸員」と訳された。そのうち美術館長も時にキュレイターと呼ばれると分かり、最近ではそのままカタカナで表されることが多い。キュレイションは「展示企画」だが、ネットの世界では特定のテーマによって情報をまとめることを指す。


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物の名前はたいていは辞書で訳にたどり着く。その物を使う動作になると、経験していないと想像では補いきれない。映画が最高の教科書だ。ダイヤル式の電話を知識としてしか知らなかったFさんは、実際に触れて初めて番号を回すとはどうすることか分かったのだが、指をダイヤルに当てた突端、大声をあげた。「へこんでる!」


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禁煙が徹底しても過去の文学や映画からタバコを吸うシーンが消えることはない。その仕草は、知って訳してこそ楽しい。トルーマン・カポーテの『The Headless Hawk』に “He hung an Old Gold between his lips,” という一文がある。これはタバコを唇の端の内側に当ててだらんと垂らすこと。身近に見なくなったのはいいけれど。