翻訳断章3

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新たな翻訳をする時、まず紙を一枚用意して横線を一本引く。たいていの場合、記すのは年あるいは月日あるいは時間。もちろんそれを記した理由を添えて原文の舞台を具体的にイメージする。読み進むにしたがって次々とそこに足していくことで原文が自分の中で立体的になる。時には歴史年表そのままということであってもいい。


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翻訳は自分ではない書き手あってのこと。書き手が文学賞受賞作家であったり、5歳の子どもだったり、男だったり女だったり。すべての立場になれるのは、なんて素晴らしいことか。その都度、しっかりその立場を想像するうえで、忘れてはならないのが国籍とか生地。イギリス語かアメリカ語かで単語の意味が異なることは多々あるので、辞書で確認しよう。


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翻訳を別の趣味と合わせると楽しい。そう言って編み物好きな友人に英語で書かれた手編みのパターン集を勧めて失敗した。略語ばかりでパズルを解いているようだとのこと。パズルといえば、英語のパズルも楽しい。Crosswords, Anacrostic, Figgerits などなど。一定の他の文字で置き換えられた文を読み解く Cryptograms は時間が経つのを忘れる。


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②は those short winter days についてもいえて short も winter も days にかかる。もう一つ例をあげると、the six thematically curated, high-altitude institutions は副詞が挟まっていて一層わかりにくいが「主題別に監修された六つの高地施設」。これが「六つの主題別に監修された高地施設」では施設の数は一つと取れてしまう。


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英語で冠詞 十 形容詞が2つ以上 十 名詞と並んでいる時、①形容詞の順番は一応決まっていること②形容詞は一つ一つが最後の名詞にかかること、を忘れないようにしよう。①は英語のルールなので、日本語で同じ順にする必要はない。those short winter days は「短い冬の日々」より「冬の短い日々」が落ち着く。②については次に。


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訳で原文を変えなくてもいい箇所にまで手を加えないようにしたい。別の言語にするのだから当然、言い方は変わるが、訳はあくまで原文を伝えるもの。日本語の習慣や自分の考えで原文の意図まで歪めてはいけない。例えば、とくに児童小説に多い mother and father という言い方。これを安易に「おとうさんとおかあさん」と順を変えない。women and men も同じ。


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英単語一つに必ず日本語一つを当てはめようとしない。例えば instead を、いつも「その代わり」と簡単にすませず、その前の文章を少し繰り返す丁寧さで訳したい。”I told you to go to the library. Why did you go to the barber instead?” 「図書館に行くように言ったでしょう? どうして図書館でなく床屋に行ったの?」


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訳文を「ですます調」にするか「である調」にするかは原文では示されない日本語の問題なので、訳者それぞれが決めること。新聞記事はほとんど後者。手紙文は前者が多い。幼児向けの読み物は易しい感じを前者で出すことがある。小説やエッセイをどちらにするか、ひとえに訳者の原文の読込み方にかかる。日本語の作品を文体の視点からも沢山読んでおきたい。


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単語の訳として、知っている言葉を全てだと思わず、文の中で収まりがわるかったら他の訳を探す。例えば sweet は元来「塩がない」という意味で、とくに水や空気や食物と組み合わされたら「甘い」ではない。文脈にもよるが sweet air は「爽やかな空気」、sweet water は「真水」、sweet milk は「搾りたての牛乳」、そして sweet butter はもちろん「無塩バター」。


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米映画『ワーキング・ガール』で「Will you marry me?」と言われた女性が「Maybe」と答え、字幕が確か「さあ、どうかしら」だった。いい訳。辞典では probably, maybe, perhaps, possiblyと確信度は弱くなると説明され、訳は「もしかすると」「ことによると」などとなっているが、文脈によって多様な含みを持ち、上の字幕のように意を汲んで訳したい。